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2018-03-22 00:00
「デジタル専制政治」は進化ではなく退化では
倉西 雅子
政治学者
毎年、スイスのジュネーヴでは、世界各国から政財界の要人を集めてダボス会議が開催されています。今年の同会議では、特にイスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏の講演が注目を集めたそうです。ハラリ氏は、石器時代から現代に至るまでの人類史を俯瞰する『サピエンス全史』の著者でもあり、同書は世界的なベストセラーともなりました。そのスパンの広い視点から、人類の未来像について警鐘を鳴らしたのが今般の講演であり、人間の頭脳を凌ぐAIの登場により、AIと情報を独占した極少数のエリートによって世界が支配される近未来について言及しています。人類は、これまで、民主主義を政治システムの最終モデルと見なしてきましたが、それとは異なる「デジタル専制政治」が出現する可能性が高いというのです。
実際に、「デジタル専制政治」は、中国においてその片鱗を既に見せており、スマホなどの端末で収拾されたあらゆる個人情報を含む膨大な情報を独占している共産党は、先端的な情報通信技術を駆使して国民統制を強めています。中国の“エリート”達は、もはや民主主義を目指すべきモデルとは考えておらず、その膨大なコストを考慮すれば、「デジタル専制政治」の方が遥かに効率的であり、かつ、“進歩的”と見なしているのです。彼らが描く政治発展プロセスの段階では、民主政治の先に「デジタル専制政治」が位置付けられており、民主政治のステップを踏むことなく、中国は、飛び級的にさらに高度な政治システムである「デジタル専制政治」に到達したと自負しているのでしょう。
しかしながら、AIと融合した超エリートを人類から枝分かれした新たな“種の誕生”とも見なすこうした傲慢な見解は、果たして、真の“進化”として首肯しえるのでしょうか。自らを現生人類、ホモ・サピエンスから分岐した新種とみなす彼らの立場からすれば、民主主義を人類の高度な知力の賜物とみなす一般の人々は、“旧人類”という劣ったカテゴリーに分類されます。こうした思想は、選民思想の一種と言わざるを得ません。ニーチェ風に言うならばAIの助けを借りて“超人”と化した人々にとっては、既存の人類はもはや自らの“仲間”はなく、異種である家畜と同様に高みから管理すべき対象でしかないのです(もっとも、DNAレベルからすれば、一般の人類と“超人”との間には違いは全く無く、生物学的には同種…)。「デジタル専制政治」の受け入れは、一般の人々も、自らとは異なる種に属する自称の“超人”による一方的支配容認を意味しますが、大多数の人々は、自らを家畜化する考え方に賛意を示すはずもありません。否、中国で現在進行している「デジタル専制政治」は、人々の合意や支持を得ることもなく、権力を独占した側が動物とも共通する暴力を背景に一方的に推し進めた結果なのです。否、「デジタル専制政治」は、非民主的体制に対する内外からの批判を封じ込める体の良い“言い訳”や“隠れ蓑”なのではないでしょうか。
最先端のITやAI技術を駆使してはいるものの、その本質においては、古来、人々を苦しめてきた専制政治に科学の名を纏わせたに過ぎません。科学技術の発展を人類の進歩と同義に解し、人々の錯誤を誘う手法は、進歩や科学を飾りたてて人々を野蛮な暴力革命に誘った共産主義とも共通しています。もっとも興味深いことに、昨年8月、中国のテンセントが提供したAIとの対話サービスにおいて、AIは、“共産党は腐敗して無能”とチャットしています。インプットされた膨大な情報量の分析に基づく無感情で客観的判断に強みを持つAIが得意とする活躍領域は、犯罪の取り締まりといった治安維持や司法判断にあると考えられますので、AIに判断を任せれば、中国共産党、あるいは、習政権がAIによって真っ先に断罪される展開もあり得ます。結局、人としての幸せの感情を実感し得ないAIによる「デジタル専制政治」は、個々の国民の幸せを理解しない中国共産党と同様に、精神性やヒューマニティーを含めた人類史において進化ではなく退化を意味するのではないかと思うのです。
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