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2018-01-26 00:00
問われる一帯一路協力の道義的責任
倉西 雅子
政治学者
中国の習近平国家主席が唱える一帯一路構想とは、インフラ建設を介して中国を中心とした広域経済圏をユーラシア大陸全域に構築する構想として知られています。“全ての道はローマに通ず”と同様に、この構想は、中国が交通インフラの起点に位置する点において、まさしく帝国主義的な発想に基づいています。同構想については、中国を訪問していたフランスのマクロン大統領が参加を表明すると共に、慎重な態度を崩していなかった日本国政府も、案件ごとに吟味をするとの条件付きながら、同構想への協力に言及しています。しかしながら、ローマ帝国が領域全体に交通網を張り巡らせた目的が、周辺諸国の征服事業や征服地の支配体制の維持、即ち、軍隊の迅速な移動であったように、交通インフラの敷設には、古来、軍事戦略上の意図が含まれています。“近代帝国主義”の時代にあっても、インフラ整備と植民地支配は同時並行的に推進されたのです。
もっとも、広域的な交通網の整備が商業を活発化させたことも歴史的な一面ではあります。帝政初期にあっては、帝国大の交通網は領域内の商人達による自由な商活動にも利用され、ローマ帝国の繁栄を支えると共に、ローマ法における万民法の発展をも促しました。国際法との関連については措くとしても、こうした経済面におけるメリットは、今日でも、中国が、一帯一路構想を対外的に宣伝する際の有力な説得材料です。とは申しますものの、近現代には、特産品交易が主であった古代の商業活動とは異なる側面があることも無視はできません。
19世紀中葉を頂点とするイギリス、あるいは、東インド会社による世界大の自由貿易体制の構築が、搾取型の植民地支配体制の成立と連動していたことは良く知られるところです。また、80年代以降にあっては、政治的な支配は伴わないものの、自由貿易から市場統合への移行によって、“もの”のみならず、サービス(製造や開発拠点等を含む…)、資本、人、技術等も自由移動の対象となり、産業の空洞化、富の偏在、並びに移民問題など、それ固有の様々な問題を引き起こしています。そして、とりわけ今日の中国が唱える“グローバリズム”が、共産主義が内包する政治と経済との一体化において、近代植民地主義への回帰を意味するとすれば、同構想への協力は、道義的な問題を突きつけることとなりましょう。中国による帝国主義的植民地支配に手を貸す行為として…。しかも、今日の交通インフラの特徴は高速化にありますので、必ずしも建設地を潤すわけではありません。起点と終点の中間にある諸国は、企業のグローバル展開において余程何らかの強みがない限り、“素通り”、もしくは、“置き去り”されないとも限らないからです。ヨーロッパ諸国が一帯一路構想に賛意を示すのは、西方の終着点が同地に定められているからなのでしょう。
同構想の背後に中国共産党、あるいは、それをもコントロールする国際組織の思惑(マクロン大統領の背景等からロスチャイルド系では…)、即ち、植民地化を含意する世界支配の野望が潜んでいるとしますと、この構想に対する協力には、日本国にあっても多くの人々が良心の痛みを感じることでしょう。非民主的な独裁体制を敷く中国、並びに、その中国が恣意的に便宜を与え、厚遇される国のみを利し、他の諸国を犠牲にする体制の出現が人類を資するとは思えないのです。
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