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2017-10-03 00:00
(連載2)第二次世界大戦前の日本と現在の北朝鮮について
真田 幸光
大学教員
更に、アメリカ合衆国の孤立主義的な立場が変わるのは、フランクリン・ルーズベルトがアメリカ合衆国大統領になってからであり、ルーズベルト大統領は就任してから1937年の隔離演説発表まで、表面上は日本に協調的姿勢を見せ、日中国間の紛争には一定の距離を置く外交政策を採っていましたが、1937年7月に盧溝橋事件が発生すると、対日経済制裁の可能性を示唆、1937年10月5日に隔離演説を行い、孤立主義を超克し増長しつつある枢軸諸国への対処を訴え、そうした結果として、最終的には、1941年7月から8月にかけての対日資産凍結と枢軸国全体に対する、石油の全面禁輸措置が完成、これにより日本が認識した、米国、英国、中国、オランダによるABCD包囲網が完成したのであります。
尚、上述した1933年2月24日、国際連盟特別総会でのリットン報告について審議の最終的な同意確認において、日本の国際連盟代表であった松岡洋右全権は、その表決および同意確認直後、席上で、「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、大日本帝国の立場を明らかにして総会会場を去り、その後、同年3月27日、日本は正式に国際連盟に脱退を表明、その後は国際社会での孤立感を深めていくこととなったのでありました。そして、日本はその結果として、第二次大戦に突入、敗戦、不戦国として、平和憲法を持ち、国際社会と協調する国として、今日に至っているはずです。
ここで、一つ、当時の日本は、日中紛争不介入の立場を示していた米国をもう少し取り込み、国際社会での孤立感を醸成しないように動ければよかったとの見方ができます。昨今の国際情勢を眺めてみると、日本のように真綿で首を絞められるように孤立感を深めている国が、北朝鮮と言えましょうが、私の認識は、北朝鮮は、国際社会を知り、慎重に考え、大胆に行動する国と化しており、第二次世界大戦前の日本についても研究、よって、当時の大日本帝国が、米国を取り込めなかったことを意識、北朝鮮は今、ロシアand/or中国本土の取り込みに必死になっているものと思います。当時の日本との違いは、北朝鮮はロシアと中国本土と言う大国二枚のカードを持っており、米国一枚であった日本よりもその点では余裕があるかもしれません。一方、そうした状況を意識する米国は、いよいよ、ロシアと中国本土を北朝鮮の金正恩政権(北朝鮮そのものではない)から引き剥がそうとしはじめており、これが効果を上げると北朝鮮はいよいよ、丸裸、「窮鼠猫を噛む」ような事態となる可能性が高まりましよう。
そして、その際の北朝鮮の暴発、軍事的行動の直接的被害を受ける国の一つに、日本は間違いなく挙げられると私は思っています。そうしたことから、日本の一国民として事態を危惧しておりますが、そのリスクがある、日本のリーダーが、国連総会の場に於いて、「対話の窓は十分に開いていたのにそれに応じなかったのは北朝鮮である」「今必要なものは圧力である」と強調する姿を見て、私も北朝鮮のやり方に憤懣やるかたない思いはあれど、しかし、この演説は、被害を受ける危険性が高い我々日本ではなく、英国やフランスといった国連安全保障理事会の拒否権を持つ常任理事国などにお任せし、日本はその裏で実効性のある圧力をかけつつ、可能な限り、平和的解決の道を求めて、しつこく、しつこく、しつこく行動すべきではないかとも感じました。何れにしても、北朝鮮情勢は更に難しいステージに上がりそうです。(おわり)
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