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2017-10-02 00:00
(連載1)第二次世界大戦前の日本と現在の北朝鮮について
真田 幸光
大学教員
私は、国際金融社会で働いている頃、家族はもとより仲間たちからも、「人を立ち上がれぬほど追い詰めてはならない。例え、それが正義であっても」とよく諭されました。理由や背景が何であれ、人は自らが可愛く、あまりに責め立てられると、「自己防衛本能」が発揮され、暴発する可能性が生じる、その結果、大きな衝突が生まれる危険性があるので、例え正義、正論であろうと、他者を責める場合には、「必ず、少しは、逃げ道を残してあげるべきである」と言うのが皆の私に対する「諭し」の内容でした。私たち人間は感情を持つ動物であり、また、本能的に自らを守る習性もありますから、他人に責め立てられれば、ほぼ間違いなく、その圧力に対抗しようとします。その結果は、責める人にも責められる人にも幸せをもたらさないでありましょう。従って、何度も繰り返しますが、「例え正義、正論であろうとも」他者を責める際には慎重であるべきだという考え方は説得力があるものと理解しています。
そうしたことを考える際、一つ、私が日本人として思い出すことは、「満州事変から国際連盟脱退、ABCD包囲網、そして真珠湾攻撃、敗戦という歴史を持つ日本が国際社会から、“真綿で首を絞められるように”責め立てられ、結局逃げ場を失い、日独伊三国軍事同盟を結ぶもイタリア、ドイツが先に降伏、そして、1945年に残された日本も敗戦に追い込まれた」という歴史を思い出してしまいます。簡単にその道を、なるべく客観的事実だけを追って眺めてみます。
1931年9月18日の満洲事変の発生で、国際連盟は中華民国の提訴と日本の提案により、日中間の紛争に対し介入を開始し、リットン調査団を派遣しました。リットン調査団の報告を受けて、1933年2月24日の国際連盟総会では、「日中紛争に関する国際連盟特別総会報告書」が議決され、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ王国)、投票不参加1国(チリ)で採択されることとなりました。この結果を受けて、中華民国は規約16条の経済制裁適用を要求しましたが、対日経済制裁には重要な立ち位置にあるアメリカ合衆国は、国際連盟に対し制裁に反対であることを、リットン調査団が派遣される以前の1931年11月11日の段階で、駐米英国大使が確認しており、中華民国の要求は、他の代表の沈黙および討議打ち切り宣言により先ずは履行されるに至りませんでした。
その後、1937年7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中間がいよいよ全面戦争に入ります。そして、中国の提訴を受けた国際連盟総会では、1937年9月28日に中国の都市に対する無差別爆撃に対する、23ヶ国諮問委員会の対日非難決議案が全会一致で可決されることとなりました。翌1938年9月30日の理事会では、連盟全体による集団的制裁ではないものの、加盟国の個別の判断による規約第16条適用が可能なことが確認され、国際連盟加盟国による対日経済制裁がいよいよ本格的に開始されることとなります。そして、孤立主義の立場から、アメリカ合衆国議会での批准に失敗し、国際連盟に加盟していなかったアメリカ合衆国は、満州事変当初は、中国の提案による連盟の対日経済制裁に対し非協力的でありましたが、日本の拡大を危惧する米国の立場は、不戦条約および九カ国条約の原則に立つものであり、満州国の主権と独立を認めないと言うものとなり、国際連盟と同調する方向となっていきました。(つづく)
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