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2017-09-28 00:00
(連載1)北朝鮮問題
倉西 雅子
政治学者
北朝鮮問題をめぐっては、何故かアメリカと北朝鮮を同列に扱い、双方を同等に“悪”と見なして批判する意見が聞かれます。しかしながらこの批判、善悪の区別を判断基準から外しているのではないかと思うのです。
近年、子供向けのアニメやドラマにおいて、“正義の味方”の活躍をテーマとするものがめっきり減っているようです。毎回、狂暴な怪獣や闇の世界の邪悪なボスなどを、勇気に溢れたヒーローが恰好よく退治するというワンパターンの繰り返しなのですが、多くの子供達は飽きもせずにこうした勧善懲悪のストーリーに熱中したのです。
ところが、“正義の味方”の減少と軌を一にするかのように、メディアでは善悪の区別を曖昧化する善悪相対化論が蔓延るようになり、勧善懲悪は、子供の世界のお話として嘲笑されるようにもなりました。“大人の対応をせよ”と、悪の排除はあたかも子供レベルの幼稚な思考として侮蔑するニヒリスティックな傾向が顕著となるのです。
しかしながら、善悪の区別は、果たして未熟で低レベルの思考なのでしょうか。メディアに限らず、御伽話などの子供向けのお話に勧善懲悪ものが多い理由は、幼少期から善悪の区別を付けさせる、あるいは、その能力を育成するための効果的な教育方法であったからのように思われます。悪の本質とは、利己的な目的による他害性にありますので、長じて他者や社会を害することなく、他者をも慈しむような立派な社会の一員となるよう、子供の発育・発達レベルでも分かるように善悪の基準や“善き大人”としての行動規範を単純なストーリーとして描いているとも言えましょう。そして、悪を退治し、人々を魔の手から助け出すためには、勇気という美徳を要することも。(つづく)
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