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2017-09-21 00:00
(連載2)“平和の基礎”を守る武力行使vs“平和的手段”による平和の破壊
倉西 雅子
政治学者
今般、北朝鮮は、NPTが定めた行動規範に反し、核開発と保有に手を染めたわけですが、仮に、北朝鮮を核保有国として認めますと、この体制は、核保有国と非核保有国の両者の違反行為により、崩壊する道を辿ります。NPTの非批准国であるイスラエル、インド、パキスタンも核保有国とされ、NPT体制の不備は既に指摘されてはいるものの、これらの諸国の核保有は、公式の場で核拡散問題として議論されることなく既成事実化しました。こうした手法が許容されるとは言えないにせよ、首の皮一枚で繋がっていたNPT体制は、北朝鮮の核保有が核拡散の危機として表面化した以上、その存在意義は根底から揺ぎかねないのです。
北朝鮮問題の解決に当たって、中ロは、核保有国でありながらNPT体制の“警察官”としての義務を捨てて北朝鮮の核を認め、アメリカもまた、“平和的手段”を優先して両国に追従すれば、義務と権利の均衡は崩れ、核保有国としての特権を認める必要性も消滅します。そして、北朝鮮の核保有が認められたからには、他の全ての諸国も、NPT体制の下で抑制されてきた核開発・保有の権利を主張することでしょう。“警察”がその職務を放棄する、否、犯罪者を幇助した以上、各自が正当防衛の権利を回復するのは、当然と言えば当然のことです。ロシアの識者は、北朝鮮の核がロシアに向かず、また、アメリカをも攻撃対象としないならば、北朝鮮の核保有は容認されるのではないか、とする見通しを述べていましたが、仮に、全ての諸国の核武装が実現すれば、如何なる弱小国であれ、相当数の諸国、特に周辺諸国が、ロシア、及び、中国に核ミサイルの照準を定めることでしょう。「平和的手段」を選択した場合、その先には、全諸国による核武装と軍拡競争が待ち受けているかもしれません(しかも、北朝鮮は核兵器、並びに、各種ミサイルの輸出国となる可能性が高い…)。もっとも、NPT体制という法秩序は崩壊しても、核の均衡が、幸いにも全世界レベルで実現し、多角的抑止による平和が訪れるならば、この選択が“絶対悪”であるとも言い切れないのが複雑なところです(ただし、核の使用をも厭わないテロ集団の手に渡った場合には平和は実現しない…)。
その一方、あくまでもNPT体制を維持しようとすれば、武力を行使してでも北朝鮮の核・ミサイルを排除する必要があります。上述したように、核保有国が特定の違反国にのみ核保有を認めるとすれば、それは、NPT体制の終焉を意味するからです。“平和的手段”ではないにせよ、武力行使の結果として、核保有国が責任を負う核管理体制としてのNPT体制は維持されれば、人類は、一先ずは“ならず者国家”による核の脅威から解放されると共に、核の拡散を防ぐことができるのです。ただし、この場合でも、もとより同体制が内包する不平等性が問題視されていることに加えて、今般の中ロの行動で露呈したように、核保有国による義務違反は深刻な脅威ですし、NPT非批准核保有国等の問題も残ります。言い換えますと、たとえNPT体制が武力行使により維持されても、同体制は全ての諸国の安全を保障しないのです。そこで、同体制を永続的に維持しようとすれば、核保有国の義務の強化、核保有国を含む違反国に対する厳罰化、非批准国のNPT加盟と核放棄など、核保有国に丸投げせずに国際レベルで核管理を厳格化し得る方向へのNPT体制の抜根的な改革を要することでしょう(核兵器禁止条約よりは現実的…)。この改革に失敗しますと、やはりNPT体制は崩壊の危機に瀕します。
長期的に見ますと、武力行使に訴えてでも“平和の基礎”の維持を優先した方が国際社会の安全性は高まるようにも思えますが、果たしてアメリカは、このジレンマを前にして、どちらを選択するのでしょうか。そしてそれは、NPT体制のみならず、人類の運命もがかかる重大な選択であると思うのです。(おわり)
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