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2017-09-20 00:00
(連載1)“平和の基礎”を守る武力行使vs“平和的手段”による平和の破壊
倉西 雅子
政治学者
北朝鮮問題は、国連安保理において制裁強化のための決議が成立したものの、未だ視界不明瞭の状態にあります。この問題、突き詰めてゆきますと、「“平和の基礎”を守るための武力行使」と「“平和的手段”による平和(正確には“平和の基礎”)の破壊」の間の二者択一となるのではないかと思うのです。ここでは、“平和の基礎”という言葉は、一先ずは、国際社会の安定を支える法秩序、即ち、一般的ルールに基づく体制やその目的を実現するための制度という意味で使用しています。国家にあって法秩序なくして全ての国民の安全(治安)が守られないように、国際社会にあっても、全ての国家の安寧、即ち、侵略や武力による威嚇なき平和は、法秩序なくしてあり得ません。国家の行動規範となるべき法やルールが存在し、それらが一定のフォームを成して諸国を規律するからこそ、侵略行為やジェノサイド等の違法が国際犯罪と見なさるのです。そして、平和に対する脅威に対しては、各国の自衛の権利のみならず、国連レベルでも軍事的措置による排除が認めています。
一方、“平和的手段”とは、一般的には紛争に際して武力を用いない解決方法を意味します。国連憲章においても明記されているように、国連加盟国には、先ずは、外交交渉、調停、仲裁裁判、国際司法制度の利用など、紛争の平和的解決が義務付けられています(国連憲章第6章)。加えて経済制裁も、軍事的措置と並ぶ実力行使による危機の排除方法でありながら(国連憲章第7章)、武力を用いないという意味においては平和的手段の一つと見なされています。何れにしても、戦後の国際社会では、紛争が発生する度に、“平和的手段”を以って解決せよ、との大合唱が起きるのです。
“平和の基礎”と“平和的手段”との違いを念頭に置きながら北朝鮮問題を見据えますと、今日、人類が直面している深刻なジレンマが見えてきます。何故ならば、“平和の基礎”を守ろうとすれば武力を行使せざるを得ない場合があり、一方、あくまでも“平和的手段”に固執するならば、“平和の基礎”が破壊される場合があるからです。北朝鮮問題の場合には、“平和の基礎”とはNPT体制を意味しており(因みに南シナ海をめぐる中国の国際仲裁判決の破棄は、国際司法制度の崩壊をもたらす…)、上記の立場の何れかを選択するのかによって、NPT体制の運命が決まってきます。
NPT体制とは、基本的な構図としては、核保有国を“世界の警察官”と目されている国連安保理の常任理事国に凡そ限定し、核不拡散の義務を負わせる一方で、非保有国に対しては核の開発や保有を禁じる体制です。不平等条約との批判がありながらも、核保有国の特権は、国連常任理事国の地位と同様に、国際社会における“警察官”としての役割と平和に対する責任を引き受け、権利と義務をバランスさせることで、一先ずは是認されてきたと言えます。(つづく)
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