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2017-08-06 00:00
(連載2)「個人メモ」の危険性
緒方 林太郎
衆議院議員(民進党)
この要件に当てはまらないものを「個人メモ」と言っています。とすると、加計学園関係でよく出てきて、文部科学省が「個人メモ」と説明している「萩生田官房副長官ご発言概要」については、これのどれかに当てはまらないはずです。
では、どれに当てはまらないのでしょうか。まず、(1)は職務上作成した事は確実でしょう。(3)についても、共有フォルダに入っていたわけですから文部科学省が保有している文書であることも間違いないでしょう。では、(2)でしょうか。「萩生田官房副長官ご発言概要」文書は省内メールで10名程度の方に共有されていたそうです。それがどうして「組織的に用いていない」と言えるのでしょうか。この「組織」の考え方は「2名以上」とされています。ちょっと無理があると思います。
更に言うと、この「個人メモ」と切り捨てるやり方はとても危険なのです。それは、その文書を作成した特定の人物にすべての責任を押し付ける行為だからです。「行政機関たるうちの役所の文書でない」という事ですから、その文書の中身について役所として一切の責任を負わない事になります。では、その責任は誰かというとすべて作成者です。このケースで言うと課長補佐級職員でしょう。しかも、それが上司の大臣、副大臣、局長辺りから「間違っている」と言われてしまうと、つまりは「おまえは間違った事を勝手に書いた無能な職員だ。」と言い切っている事とほぼ同義です。
「個人メモ」と切り離そうとする行為は、その行政機関内の「和」を著しく乱します。行政機関の上層部のメンツを守ろうとするがあまり、立場の弱い一職員に責任を押し付ける行為となっています。それは社会通念上は「卑怯な行為」と捉えられるべき事ではないでしょうか。そう思っている文部科学省員がいるからこそ、現時点においても、文部科学省内から政権の意向に対峙する勢いが止まないのです。そこをよく政権幹部は理解すべきだと思います。普通に聞いてみると、あまり意識しない「個人メモ」という言葉の裏に潜んでいる「責任を弱い立場の職員に押し付けようとする卑怯な目論見」は看過してはならないと思います。(おわり)
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