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2017-08-01 00:00
(連載2)対北軍事制裁の現実味
倉西 雅子
政治学者
古今東西の神話やおとぎ話では、人々を苦しめる怪物や邪悪な者が登場すると、勇気と力を有する正義の英雄が登場して成敗するものですが、この勧善懲悪のストーリー展開は、人類社会に普遍的に存在する“悪(自己中心的で貪欲な暴力主義者であり侵略者…)”との対峙を誰もが理解し得るように単純化して描いているのかもしれません(誰かが闘わなければならない…)。
このように考えますと、アメリカが武力行使を実行する時期については、核を搭載したミサイルがアメリカの首都、あるいは、経済の中枢であるニューヨークに確実に届くミサイル攻撃能力を北朝鮮が有する以前の段階が最も可能性が高いと想定されます(それ故に、北朝鮮もICBMの実験を加速化させている…)。
何故ならば、冷徹なリアリズムに徹すれば、この時期こそ、アメリカが払う犠牲が最小となるからです。そしてその選択は、日本国にとりましては、報復として北朝鮮から核攻撃を受ける覚悟を迫られていることを意味します。否、日本国は、アメリカに対して、“日本国のためにロサンゼルスへの核攻撃を甘受せよ”とは言えないはずです。
国際法秩序が破壊され、人類が暴力国家に支配される将来が近づいている今日、日本国、並びに、日本国民は、犠牲を払ってでも守るべき価値はあるのか、という精神性をも含めた人類の存在に関わる根本問題を問われているように思えるのです。(おわり)
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