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2017-06-15 00:00
(連載1)NATOと米国トランプ大統領、そしてロシアと中国本土について
真田 幸光
大学教員
世の中には今、通称、NATO、即ち、北大西洋条約機構というものがあります。NATOは、北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(=アメリカとカナダ)およびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟であり、その前身は1948年に締結されたブリュッセル条約であります。第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に治めた共産主義の旧ソビエト連邦との冷戦が激しさを増す中で、イギリスやフランスが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約によりNATOは正式に誕生しました。こうした背景もあって、NATOは、結成当初は、旧ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟の性格を強く持つものでありました。
また、アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む=反共主義の封じ込め、と言う理念を持ち、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツの問題に対するひとつの回答であったとも言われています。そして、加盟国は集団的安全保障体制構築に加えて、域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する集団的自衛権発動の義務を負っており、相互扶助を原則としています。そしてまた、当初はアメリカなどの一部で、ドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想され、また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、アメリカ・イギリス・フランス・旧ソ連の4カ国が治安に責任を持つという体制からスタートしました。
しかし、冷戦の開始とともに西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツの再軍備検討も解禁、西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始め、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対などを受けて、紆余曲折はありましたが、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に創設され、西ドイツはNATOに加盟しました。
こうした一方、旧ソ連が、旧ソ連を中心とする東側8か国によってワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させたことから、ヨーロッパは2つの軍事同盟が存在することになりました。この後、1989年のマルタ会談で冷戦が事実上、終焉し、続く東欧の動乱と1991年のソ連崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られることとなりました。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移していき、今日に至ります。(つづく)
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