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2007-03-19 00:00
グローバル化の中における多様性の視点
村上正泰
日本国際フォーラム研究主幹
近年、我が国において「格差社会」ということがいわれるが、世界規模でみても所得格差が拡大傾向にある。グローバル化の進展に伴い、先進国の一部ではその利益を享受し、富める者がますます富んでいく一方で、途上国を中心としてグローバル化の利益を必ずしも手にすることができない人々も数多く存在しており、依然として貧困の罠から脱することのできない国々もある。こうした状況を背景として、反グローバリズムの動きも出てくるのであるが、だからといってグローバル化を全否定するのが現実的でない以上、グローバル化の利益を広く途上国も享受できるような仕組みを考えたり、途上国に対する開発援助を積極化させるということが重要になる。
実際、最近のサミットなどでは、開発援助が主要な議題として取り上げられており、ミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けて各国ともさまざまな提案を積極的に行っている。欧米諸国の動きに比べて我が国はいささか消極的であるように思われるが、ここではそれ以前の問題として、そもそも開発援助をどのような考え方のもとで進めるのかということを問いたい。
開発援助を行う場合には、往々にして、ジェフリー・サックスが旧社会主義諸国に対して提唱した「ショック・セラピー」のように、市場経済メカニズムや望ましいと考える制度を一気に移植しようとして、極めて計画的なアプローチが採られることがある。「ショック・セラピー」の失敗は改めて指摘するまでもないが、その対極にある考え方として、元世界銀行エコノミストであるウィリアム・イースタリーは、現場の実態を踏まえ、そこの住民が必要とするものを把握し、改良を重ねていくというアプローチを提唱している。それぞれの国には独自の歴史的・文化的背景もあり、どのような援助が役に立つかどうかという問題はそれぞれの国の具体的条件に沿って考えなければならないことからすれば、極めて真っ当な議論であるといえよう。しかしながら、一見したところの分かりやすさと壮大さ故に、「ショック・セラピー」のような押しつけ的な手法が横行しやすいのである。
こうした問題は、開発援助以外の面でも見られる。例えば、ブッシュ政権の外交政策については、ロバート・ジャービスが的確に指摘しているように、軍事力を重視したリアリストとしての側面とともに、民主主義を広めるという古典的リベラルの側面を兼ね備えている。もちろん平和構築のためにはレジーム・チェンジが必要となることはあるけれども、それぞれの国特有の歴史や価値観を無視して民主化を持ち込もうとしてもうまくいくものではない。イラクの現状は、少なくともそうした熟慮が欠けていたことを示しているのではないだろうか。
このように考えると、かつてマイケル・オークショットが「すべての計画化に抵抗するための計画は、その反対物よりましかもしれないが、同じ類の政治スタイルに属する」と述べたように、たとえ市場経済や民主主義を導入するといっても、それが工学的な手法に傾いてしまっては意味がない。グローバル化が進展するなかで、ともすれば世界が均一的になるかのような幻想を抱きがちになるけれども、むしろそのような時代だからこそ、それぞれの社会における多様な制度のあり方を認め、それに即した解決策を模索していくという姿勢が必要なのではないだろうか。
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