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2007-03-11 00:00
連載投稿(1)コソボ独立交渉の行き詰まり
松元 洋
NPO日本救援行動センター(JARC)代表
「バルカンの紛争はコソボに始まりコソボに終わる」と言われたコソボのセルビア との独立交渉は難航に難航を重ね、3月10日、ウイーンでおこなわれた双方首脳の交渉も成果ゼロに終わり、問題は今月末に予定された国連安全保障理事会へ持ち込まれることとなった。1999年、コソボの内紛がNATO空軍の爆撃によって一応収拾した後、欧米諸国はセルビアとコソボの関係につき慎重な立場をとり、国連安全保障理事会は決議1244を採択し、コソボの将来的地位の交渉は、コソボの情勢が安定し、州の自治政府が民主的統治体制を整えることが前提であるとした。この前提を検討してきた米英仏独伊露の6カ国からなるコンタクト・グループが、2005年交渉開始に必要な前提は整ったとの報告を出したことを踏まえ、同年10月交渉の仲介役としてフィンランドのアハテイサリ元大統領が国連事務総長特別代表に任命された。双方の 一年以上にわたる交渉に何らの進展がない状況を前に、アハテイサリ特使は、去る2月コソボ自治政府に国旗、国歌の制定、国連加盟を認める仲介案を提示した。
これに対し、即時完全独立を求めるアルバニア人青年はコソボの州都プリシチナにおいて仲介案を不満としてデモを展開し警察官と衝突、2名の死者をだした。他方、セルビアの議会は、圧倒的大多数で仲介案に反対し、コソボが事実上独立に向かうことを拒否した。
昨年のモンテネグロが住民投票の結果独立の道を選び、それがただちに国連加盟へとなったことをみて、コソボのアルバニア人は、わずか60万のモンテネグロが独立したのであれば、その3倍の人口を擁する自分たちが独立するのは当然という気持ちがつよい。他方、セルビア側ではコソボは自分たちのかっての故郷であり、また国際社会は世界の安定、平和の原則として、国境線の変更に反対してきている、ここで自治州が独立となると、同じような問題をかかえているスペインのバスクの問題などはどうなるのかと問いかける。(つづく)
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