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2016-12-17 00:00
日本は硬軟交えた国家戦略を考えよ
高橋 裕貴
団体役員
世の中、急ピッチで物事が進んでいくので、すでに旧聞に属する話かもしれないが、今年のノーベル文学賞は、米国のシンガーソングライターのボブ・ディラン氏に授賞された。さる12月10日には、ストックホルムで文学賞他各賞の授賞式が行われたが、本人は欠席したようだ。ともあれ、このボブ・ディラン氏の受賞をめぐっては、世間でもその是非をめぐって意見が分かれたようである。すなわち、「シンガーソングライター」に「文学賞」を授賞することの是非である。
たしかにボブ・ディラン氏は、川端康成やジョン・スタインベック、トーマス・マンといった歴代の受賞者とは一線を画した存在であるし、また、ハイカルチャーというよりはローカルチャー、いやむしろカウンターカルチャーに属する存在であることは間違いない。だから、今回の授賞が「非伝統的」であることについては、誰も異論はないだろう。よって問題は、この「非伝統的」な授賞が妥当か否かという点にあるわけだが、実はこの問題には答えはない、というしかないのではないか。なぜなら、この問題は、「文学とは何か」という問題に直結するわけであり、そうそう簡単に答えがでるわけもないからである。
それにしても、このように、ノーベル文学賞が誰に与えられたかをめぐり、世界各国の世論があれこれ議論を重ねるということ自体が驚きである。ノーベル賞は公的な存在か私的な存在か、と問えば、多分に私的な存在である。ノーベル賞は、たとえば国連憲章や国際法に定められた公的な制度では、決してない。あえて言えば、スウェーデンやノルウェーといった小国の真面目な「道楽」のような催しである。
しかし、この「道楽」に、なぜかこれほどまでの影響力があるわけである。文学賞などはまだいいが、平和賞などは、受賞者周辺に、かなりの政治的磁場をもたらすほどである。現実として、ノーベル賞がスウェーデンやノルウェーにとって、典型的な「ソフトパワー」として機能している。これほど安上がりな「道楽」で、世界中の注目を集めてしまうスウェーデンやノルウェーは誠に憎い存在であるといえよう。ただし、スウェーデンもノルウェーも、その反面で、徴兵制の導入等により、しっかりと「ハードパワー」の備えをしていることは、覚えておいたほうがいい。このように、小国は小国なりに真面目に自国の安全保障を考えているわけである。日本はましてや小国ではない。スウェーデンやノルウェーに習うまでもなく、日本は、日本なりに硬軟交えた国家戦略を真面目に考えるべきだろう。
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