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2016-12-12 00:00
(連載1)米大統領選挙に見るリベラルの排他主義
倉西 雅子
政治学者
アメリカ大統領選挙は、その長期にわたる選挙期間を通して、現代社会が抱える様々な問題や矛盾を露呈することとなりました。その一つに、トランプ氏当選が確定した後に起きた、クリントン支持者による反トランプ抗議デモやカリフォルニア独立運動があります。
それでは、これらの運動から、どのような問題や矛盾が垣間見えるのでしょうか。リベラル派の人々は、常々、異なるルーツやバックグランドを持つ多様な人々が共生し、仲良く暮らしてゆくことが理想社会と見なしています。あらゆる差別に反対し、マイノリティーの権利保護にも熱心です。確かに、“皆が仲良く”という性善説を前提とする一般的な道徳規範には誰も反対しないでしょうし、寛容は美徳の一つです。
しかしながら、国家や社会というものが、移民国家であるアメリカにおいてさえ、歴史や特定のルーツを持つ集団の固有性を伝統として引き継いでいる現実を考慮しますと、リベラルの主張する寛容は、際限のない多様化、即ち、移民の受け入れを意味し、既存の国家や社会を融解させてしまう働きを必然的に伴うのです。
それでは、リベラルの反対に位置する保守的な態度、即ち、既存の国家や社会の維持を望むことは、反道徳的なのでしょうか。今日の国際社会では、数万年を経て生じた人類の多様化に対応する形で民族自決の原則が成立しています。仮に、無制限な移民受け入れによる多様化を推し進めれば、その社会は、何らかの共通点もない“烏合の衆”となるか、民族、宗教、思想等の多様性に起因する内乱状態となるか、あるいは、無味乾燥としたモノトーンの世界に至らざるを得ないのです。民族自決が集団的な権利である以上、その権利を護ることは、決して批判されるべきことでもないのです。(つづく)
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