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2016-12-05 00:00
グローバリズムの修正案
倉西 雅子
政治学者
現代の国際社会では、主権平等の原則の下で国家の独立性は保障されており、国内でも、個人の基本的な権利は天賦のものとして手厚い保護の対象とされています。ところが、奇妙なことに、経済の世界では、企業の独立性が十分に保障されているとは言えない状況にあります。
その理由は、株式会社という形態にあっては、株式の所有が企業経営と結び付いているため、過半数を超える株式を取得さえすれば、他の会社を買収することができるからです。たとえ、経営陣を含めて買収先企業で働いている人の大多数が反対しても、大株主が譲渡に合意する、あるいは、公開株式買付け(TOB)を実施すれば、買収案件は成立します。もちろん、敵対的買収ばかりでもありませんが、買収された会社は市場において自らの独立的な法人格を失い、最早、自立的な決定を行うことはできなくなるのです。今日の市場経済とは、所有と経営(法人格)が分離しており、かつ、所有が経営(法人格)よりも上位に位置することで、企業が、自らの意思に拘わらず、常に“売り払われる”可能性がある制度であると言えます(個人に譬えれば“人身売買”となる…)。
今日の企業における株主権の強さは、恐らく、その始まりとしての東インド会社の成り立ちに求めることができるかもしれません。当時の航海技術では、貿易船が難破すれば巨額の投資は戻ってこず、有限責任におけるリスクの分散は理に適っていたからです。リスク負担の高さが株主権を正当化したとも言えますが、しかしながら、今日の企業形態を考慮しますと、株主のリスク負担に対して権利が強すぎるようにも思えます。株主は、資金の提供者ではあっても、企業の業績は、経営者であれ、一般の社員であれ、そこで働く人々によってもたらされますので、責任と権利との間のバランスからすれば、権利が株主に偏り過ぎているのです(配当を受け取る権利程度が妥当では…)。
株式取得が経営権の掌握手段となったことで、企業買収は頻発し、如何なる企業も企業買収に戦々恐々とせざるを得ません。しかも、今日のグローバリズムにあっては、外国企業によって買収される可能性も高くなり、実際に、中国系企業による企業の“爆買”は、全世界の企業、並びに、その従業員をも恐怖に陥れています。グローバリズムの修正が、その基盤となる市場経済の修正をも意味するとしますと、株主権の適正化を伴う企業の独立性をいかに保障するのか、といった問題も、検討されて然るべき是正案ではないかと思うのです。
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