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2016-10-17 00:00
文系ノーベル賞は選考者を超えられない?
倉西 雅子
政治学者
今年のノーベル文学賞は、歌手であるボブ・ディラン氏への授与が決定されたため、賛否両論の議論を巻き起こしているそうです。文学賞のみならず、経済学賞や平和賞といった文系のノーベル賞については、否が応でも選考の主観性に関する問題が付き纏います。
ボブ・ティラン氏の受賞についても、評価の賛否は、選考者-スウェーデン・アカデミー-の主観に共感するか、否かを軸に分かれています。氏の受賞を高く評価する人々は、詩と音楽を融合させ、それを広く世界の人々に歌唱力を以って伝えた現代の“吟遊詩人”として功績を評価した選考者に同感し、その新規性を称賛しています。一方、批判的な人々は、ノーベル文学賞が、文章表現に優れ、文筆を以って人々に様々な問題を提起した文学作品に与えられてきた歴史に鑑みて、今般の審査者による歌手への授与決定は、ノーベル文学賞の価値を下げる“低俗化”、あるいは、“逸脱”と見なしているようです。つまり、選考者の価値判断や評価基準が、議論の焦点となっているのです。
ボブ・ディラン氏の受賞をめぐる意見の相違は、ノーベル文学賞といった文系ノーベル賞とは、選考者の判断が全てであることを示しています。言い換えますと、選考者の“尺度”が変われば、受賞者もまたその変化に合わせて変わります。仮に、今後とも選考者が、その評価基準を大胆に“革新”させれば、対象は際限なく拡大し、アイドル歌手、俳優、女優、コメディアンといった人々の受賞もあり得ることでしょう。
文系ノーベル賞では、あくまでも選考者が“主”であり、この点、受賞者の業績が“主”となる理系のノーベル賞とは逆です。そして、選考者が“主”である限り、文系のノーベル賞は、選考者を超えられないというジレンマを抱えているのです。果たして、文系ノーベル賞は、将来、どのような姿に変貌してゆくのでしょうか。あらゆる権威が懐疑に晒され、揺らいでいる今日、文系ノーベル賞もまた、“人類のための最大の貢献”というアルフレッド・ノーベル自身が定めた根幹的な基準に立ち戻りつつ、自らを見直す時期に差し掛かっているのかも知れません。
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