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2016-07-25 00:00
良いポピュリズムと悪いポピュリズム
倉西 雅子
政治学者
最近、アメリカのトランプ現象やイギリスのEU離脱は、“悪しきポピュリズム”として辛口の批判を浴びています。理性ではなく感情に任せると、悪い方を選択すると…。しかしながら、ポピュリズムには、二つの種類があるのではないかと思うのです。
“悪しきポピュリズム”とは、古代アテネの衆愚政治のように、知識や情報に乏しい民衆を扇動して自らの支持基盤とし、僭主(独裁者)が政治を思うがままに動かすというものです。民衆は、僭主に操られた無力な存在であり、判断力も、自治能力をも備えておらず、熱狂と倦怠とを繰り返すのみです。この場合、民衆のみならず、僭主もまた愚かなのです。その一方で、“良きポピュリズム”もないわけではありません。古来、“民の声は天の声”と称されたように、一般の人々の判断は、為政者のそれに優っていることもあります。民主主義も、個々人の判断力や能力を信じればこそ、よく機能するのであり、最初から“衆愚”を前提としたのでは、民主主義もまた成り立たないのです。言論の自由や報道の自由も、一般の人々の判断力や倫理観を前提としなければ、無意味となるのではないでしょうか。
今般のトランプ現象やイギリスのEU離脱をめぐりましては、前者のケース、即ち、“悪しきポピュリズム”と見なして、声高な批判がある一方で、現実そのものは、後者の側面がないわけではありません。『パナマ文書』で明らかとなったように、貧富の格差の拡大は紛れもない事実ですし、どの国でも、中間層は消滅の危機に直面しています。また、人の自由移動に伴う移民や難民問題は、国民国家を融解しかねない状況をもたらしています。行き過ぎた新自由主義の破壊力に対して“待った”がかかるのも、そのマイナス影響が、常識的な人々が受忍し得ないレベルに達しているからに他なりません。
一般の人々の現状への不満や将来に対する不安の表出を、単に“感情的”であるとか、“大衆迎合”であるとして、‘良いポピュリズム’と‘悪しきポピュリズム’を区別せず、一色たんに、‘衆愚’として否定してしまいますと、一体、誰が、今日の人々が抱えている諸問題を解決するのでしょうか?“新自由主義に基づく経済システムこそ唯一絶対である”、とする視点からあらゆるポピュリズムを一括りにして批判している人々は、民主主義をも崖の淵に追いやってしまう危うさがあると思うのです。
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