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2016-06-27 00:00
(連載2)貝原益軒と日本の経済学
池尾 愛子
早稲田大学教授
日本の「家」観念を説明するために、男性ではあるが、貝原益軒(1685-1744)の『家道訓』(1711年)を引用した。彼は男性向けに、「一生の生活設計をたてるべきである」、「人には五計あり。一生の間、十歳より六十歳まで、時につけてなすべき営みあうことを言えり」とし、「二十歳より四十歳に至りては、家事を営みて家を保つ計をなすべし。これを家計という」とした。明治期の研究者たちは女性向けに解釈し直して家政学を構築していったようである。確かに経済学の「家計」は益軒に由来するようで、20年前に既に「日本の経済学の基礎に貝原益軒がある」と指摘した日本研究者たちがいた。どうやら家政学経由で日本の経済学に入り込んだようだ。
益軒が「家庭経営には四つの原則がある」として、「四には恕にして、人を愛す。恕とは、わが心にて人の心をおしはかりて、人の好むことは施し、嫌ふことは施さず」と述べたことも興味深い。「恕」は英語の「empathy(感情移入)」がぴったりで、アダム・スミスが注目した「sympathy(同感、同情)」よりも、経済思想用語におさまりやすいのではないか。益軒の『楽訓』(1710年)には幸福論や知的楽しみが盛り込まれて愉快であるが、日本でより広く知られてきたのは『養生訓』(1713年)、『大和俗訓』(1708年)であろう。江戸期、明治期、昭和期には抜粋集が読まれていたようで、現在では部分的にウェブ検索で見つけることができる。
アメリカでの学会発表の折、ヨーロッパ人研究者から「『日本のイエ』といっても、(ギリシャ語の)『オイコス・ノモス』のことではありませんか。ヨーロッパでは、『オイコス・ノモス』から如何にして『ポリティカル・エコノミー』が展開したかを論争しているところです。理論、(キリスト教)神学も重要でしょう」とコメントを受けた。私自身は、日本語のできる外国人には、「(このような文脈での)『ポリティカル・エコノミー』とは経済学の古い呼称で、宗教の影響の強いものです」と説明している。
松田道雄氏は「貝原益軒の儒学」を書いた時(『日本の名著14』、1969年)、益軒には神道の影響があると述べたが、むしろ仏教の影響が強いように感じる人の方が多いのではないか。19世紀以前の思想を扱う時には、宗教の問題は避けては通れないであろう。日本の近世思想をたどるとき、「経世済民」思想だけではなく、「家」「家計」「家事」(家業を含む)の観念も注目されるべきであろう。益軒は日本思想と西洋思想との比較をする時など、日本のヨーロッパ研究者にも注目していただきたい文人(哲学者)であることが、家政学史を通して見えてきた次第である。(おわり)
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