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2007-02-24 00:00
連載投稿(2)東南アジアに残る東洋の美風
湯下 博之
杏林大学客員教授
更に、JICAは、日本の高校生グループを招いて、こうした青年海外協力隊の活動の現場で体験学習をする事業も行っている。そのようにしてフィリピンを訪問した高校生グループが、体験学習を終えて、私のいた日本大使館を訪れた時のことである。私に挨拶に見えた高校生グループの一人ひとりにフィリピン訪問の印象を尋ねたところ、或る高校2年生の女生徒は、自分の番になるや、感情の高まりの余り、話ができなくなり、泣きだしてしまった。しばらくして、気持ちが落ち着くと、彼女は次のような話をしたのである。
「私は、フィリピンの田舎で、私と同年輩の人達やその家族と一緒に暮らしてみて、大きなショックを受けました。彼らが非常に貧しいことに驚きました。しかし、その貧しさにもかかわらず、彼らが明るく、家族の仲が良いことに感心しました。また、日曜日には皆で教会に行くことにも感心しました。彼らは、貧しくて玩具は買えないので、石を蹴る遊びとか、そこにあるもので出来る遊びを楽しんでいました。日本での自分達のことを考えると、コンピューター・ゲームのようにお金のかかるものがないと遊べないのに、こんな遊びで楽しんでいる人達もいるのだという発見は、大きなショックでした。また、自分が持っていたヘアピンをフィリピン人の同年輩の女の子に少しあげたところ、大変喜ばれて驚きました。ヘアピンなんて安い物なのに、何度も感謝されました」
この話を受けて、私は次のようなことを言いました。「皆さんは、とても良い経験をされたと思います。今の話にあったことは、皆さんにとっては驚くようなことでしょう。しかし、実は、日本も、私が子供の頃は、今の話のようなことが沢山ありました。石蹴りや鬼ごっこは、私もよくした遊びですし、家族の人間関係も、今とは随分違って親密でした。つまり、日本が変わってしまい、東南アジアの国ぐにには、昔日本にあったものが残っている面があるのです」
東南アジアの人達を知ることによって、日本人がかつては持っていたものを思い出し、失った良いものを取り戻すことが出来れば、どんなによいでしょう。少なくとも、上記の私の経験は、日本の若い人達の心の中に、かつて日本人の美徳とされた特性を生き返らせる素地があることを示しているように思えるのです。東南アジアとの深い交流を通じて、日本人全体が精神面の豊かさをよみがえらせ、自分たちの生活を真に豊かなものとすることを願わずにはいられません。(おわり)
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