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2016-01-05 00:00
テロこそ“偏見・差別”の元凶では?:イスラムの連帯責任
倉西 雅子
政治学者
世界各地においてイスラム過激派によるテロ事件が発生していることから、非イスラム諸国では、イスラム教徒に対する嫌がらせも報告されています。社会的な分裂や対立が懸念されておりますが、その根本的な解決方法は、一体、どこにあるのでしょうか。
イスラム教徒に対する“偏見・差別”は、実のところ、根拠がないわけではありません。根拠なき“偏見・差別”は、道徳や人道を説くことで対処することができますが、根拠がある場合には、単なる倫理的な批判では解決が難しいのです。特に、テロとは、自らが信じる政治や宗教上の理想を暴力によって実現しようとする行為ですので、穏健派であれ、これらの政治信条や宗教を共有する人々にも影響が及びます。否、テロリスト達は、イスラム・コミュニティーの集団的なパワーをも自らのバックと見なし、それを効果的に利用しようとしているのです。仮に、テロリストが、膨大な数の教徒を有する世界宗教の一つであるイスラム教とは関係のない、孤立した数人のグループであれば、これ程までに社会全体に恐怖を与えることはなかったことでしょう。非イスラム教徒達は、イスラム教徒の人数が多いがゆえに、日常生活において、ジハードが実行に移される危険性と常に隣り合わせとなっているのです。そして、そうであるからこそ、テロリストは、脅迫効果を高めている、と言うことができるでしょう。
こうした側面を考えますと、イスラム教徒達はテロリストの被害者であると同時に、それを傍観していることにおいて無責任の感があります。イスラム教徒こそ、自らの宗教が生み出した過激派に対して、テロ行為を止めさせる立場にあります。“お前たちの非人道的な行為こそが、全イスラム教徒に対する”偏見・差別”の元凶である”と…。
信者間の連帯性を説くイスラム教徒であればこそ、テロもまた、連帯責任を負うべきでもあります。仮に、ISに他の善良な信者を思い図る気持ちがあれば、テロ活動を放棄するでしょうし、ISメンバーではないイスラム教徒も、テロリストがイスラムの教えから逸脱していると見なせば、身を挺してでもテロ組織の撲滅に乗り出すことでしょう。イスラム教徒の方々には、是非とも、イスラム教が、平和で安全な宗教であることを証明していただきたいと思うのです。
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