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2015-12-17 00:00
(連載1)外交・安保論議における「二者択一」という悪弊
芹沢 健
会社員
12月2日・3日付の拙稿「対テロ戦争再考」に対して12月8日付で上田隆史氏よりコメントを投稿いただいたので、以下、若干の補足もかねて、思うところを述べたい。いささか誤解を与えるのでは、との不安もあった「外科的手法」と「内科的手法」との比喩であったが、上田氏より「明快」との評価をいただき、恐縮のいたりである。
また、その後、12月10日付の産経新聞の「正論」欄に、村井友秀・東京国際大学教授が「対テロ外科手術としての空爆」と題する論文を寄せられていたことには驚いたが、その末尾で、「テロとの戦いは、軍事力によってテロ攻撃に反撃する外科手術と、多くのテロの原因である貧困や差別の問題を解決する経済援助などの、内科的処置を同時に実行しなければならない」と指摘されていたのは、まさに私の主張と重なるところであり、「さほどズレたことは言ってなかったのかな」と胸をなでおろすことができた。
いずれにせよ、私の言いたかったことの一つは、上田氏のご指摘にもあるとおり、我が国では、外交、安全保障政策が、えてして二者択一で論じられる傾向にあり、それが非常に不毛な議論を招いているということである。たとえば、「内科的手法」が重要と主張することは、すなわち、軍事的オペレーションを含む「外科的手法」は否定されるべきだと理解されることになるわけである。
上田氏は、ジョセフ・ナイの「ソフト・パワー」概念についても触れられているが、我が国では、一部で「憲法9条の平和ブランドこそが日本の誇るべきソフト・パワー」などとの見解も見受けられる。まさにこうした見解こそ、悪しき二者択一傾向から胚胎されたミスリーディングな主張といえる。ちなみに「平和国家」ないし「平和創造国家」としての日本ブランドは、戦後、我が国が実践してきたODAやPKOの実績の積み重ねの賜物であり、憲法9条に基づくものではない。(つづく)
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