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2007-02-12 00:00
連載投稿(1)「硫黄島からの手紙」と「沖縄からの電報」
木下 博生
日米・文化交流協会理事
先日、映画「硫黄島からの手紙」を観て、大きな感動を覚えた。私は80年代と90年代に二度、硫黄島を訪問し、擂鉢山からの全島の眺望および島中にはりめぐらされていた地下壕に残された遺品などを鮮明に記憶していただけに、亡くなられた栗林忠道陸軍中将以下2万人の方々のことを想い、涙が止まらなかった。
地下壕といえば、もう一つの想い出と感動がある。それは、80年代にはじめて沖縄県に行った時に訪ねた海軍壕だ。現在の那覇空港の近く、豊見城(とみぐすく)に掘られた地下壕で、海軍司令官太田実中将が昭和20年6月13日に他の将兵とともに自決した場所である。ここには、太田中将が6月6日に海軍次官あてに打った有名な電報の写しが展示されている。沖縄戦においては、19万人に及ぶ日本側戦没者が出たが、そのうち三分の二は沖縄県民であった。軍人、軍属になった人は2万8千人であったから、残りは一般県民の犠牲者である。太田中将は、この人達の悲惨さと苦しみをこの電報で伝え、最後に「沖縄県民斯く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と結んでいる。
唯一の通信手段を残していた海軍司令部が送った電報が、これであった。われわれは、この太田中将の遺志を忘れることなく、後世にまで語り継いで行かなければならない。沖縄県が本土の中で米軍の侵攻を受けた唯一の戦場となり、戦後、米国の施政下に置かれたことが、在日米軍基地の四分の一近くの面積を沖縄に配置する結果となった。それが今日の基地問題につながっている。戦争を体験した私より上の世代の人達は、この沖縄の人達が受けた苦しみを実感し、十分理解していた。鹿児島県選出の故山中貞則代議士は、その一人で、自ら進んで沖縄と中央との架け橋の役目を果たしたのである。「特別の御高配」を常に頭に置いていたに違いない。今は、寂しいことに、そういう政治家が殆どいなくなった。現実の沖縄の米軍基地問題にも、これが微妙に影響を与えていると私は考える。(つづく)
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