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2015-12-02 00:00
(連載1)対テロ戦争再考
芹沢 健
会社員
11月13日のパリで発生した同時多発テロを受け、世界は再びテロの脅威に震撼した。思い起こせば、2001年の9・11事件しかり、2007年のロンドン同時爆破テロ事件しかり、今回のパリでの事件しかり、いずれも核保有国への平然たる挑戦である。ことテロ攻撃に関していえば、核の抑止力は全く以て役に立たないといえる。
さて、16日放送の『報道ステーション』では、今回のパリでの事件を受け、キャスターが「本当に残忍で許すまじ」と断った上で、「米国やロシアなどの有志連合国の誤爆によって、無辜の民が殺される、皆殺しの目に遭うことも反対から見ればテロですよね」と述べていた。おそらく、ここにいう「誤爆」とは、10月にアフガニスタン北部で「国境なき医師団」の病院を米軍が誤爆した事件などを指しているのであろう。たしかに、その事件自体は悲劇であり、被害者にしてみれば「テロそのもの」と言いたくなる気持ちもわからなくもない。
しかし、感情に流され、安易に「テロ」という言葉を多用することは、問題の本質を見誤ることになるのではないか。今一度ここで、「テロ」の定義を確認すると、「特定の主義主張に基づいて、国家などにその受け入れを強要したり、社会に恐怖を与える目的で殺傷・破壊行為(ハイジャック、誘拐、爆発物の設置など)を行ったりすること」(外務省ホームページより)とある。
こうしてみると、米軍による「国境なき医師団」への誤爆には、何ら「特定の主義主張」というものはなく、あるとすれば「人為的ミス」(アフガニスタン駐留米軍のキャンベル司令官)のみであろう。むろん、そのような「人為的ミス」はないに越したことはない。ただし、欧米も「イスラム国」もどっちもどっちだ、などといった悪しき相対化は厳に慎むべきであろう。(つづく)
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