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2015-11-10 00:00
(連載2)日本は「経済学を輸入した」のか
池尾 愛子
早稲田大学教授
次に、徳川時代には鎖国政策が布かれ、禁教が実施されていたことを忘れてはならない。1850年代からの開港・開国後も禁教は続き、明治政府は禁教の方針を取ろうとしたものの、反対者達からの抵抗を受けて、神道・仏教以外の宗教に対する規制は徐々に緩和されて、19世紀末に信教の自由が認められるようになる。福澤諭吉が『文明論之概略』(1875年)において、西洋文明がキリスト教に根差していることを堂々と説いたものの、キリスト教そのものについては解説しなかったのはこのあたりに理由があるのであろう。
宗教の問題は重要である。私なりにこの問題を考察したのが、天野為之と二宮尊徳を対照する研究である。二宮尊徳の教義(神道、仏教、儒学に基礎をおく)と日本の近代経済学の間の親和性には28年くらい前から気づいていた。私は近代経済学者の誰かが二宮尊徳を使ったに違いないと探していた。この疑問とは別に、日本で最初の近代経済学者らしいと思われた天野為之を研究する糸口を探していた。
2014年10月22日と23日に本e‐論壇で「国際二宮尊徳思想学会について」と題して、同学会の設立経緯は説明した。同会会員から示唆を受けて、天野研究を精力的に進めることになった。2012年に予定されたものの中止になった北京大会で発表しそこなった論考「天野為之と二宮尊徳の教義:推譲、仕法、そして経済教育」は、翌年に機関誌『報徳学』第10号に掲載され、改訂英語版も利用可能である。天野が二宮尊徳に注目し、報徳思想に関心を寄せていたことは年配の会員の間では周知であった。
最後に、先人達の奮闘努力の成果とはいえ、幕末明治期の社会科学系西洋文献の和訳が大きな問題を抱えていたことは、当時の知識人達によって指摘されていることも忘れてはならない。古い翻訳は現在読んでも問題が感じられ、特に宗教色の濃い経済思想は禁教政策のため理解困難であったと推測される。それゆえ、西洋文献を翻訳・吟味して、宗教と切り離せる部分について注目し、日本に既にある思想や思考と結び付けていったとしても不思議はないであろう。「経済学の輸入」で何を言いたいのか、キリスト教の位置づけはどうなのか、今少し具体的に説明してみてはいかがだろうか。(おわり)
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