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2015-11-04 00:00
(連載2)「法の支配」揺らぐ韓国
佐伯 瑛士
大学院生
2014年12月におきた「ナッツ・リターン事件」、これは、大韓航空の当時の副社長が添乗員のナッツの出し方(ナッツを袋に入れたまま出しただけ)に激昂し、航空機を引き返させた、という事件であったが、この程度の事件なら、日本なら在宅起訴が妥当かと想定されるものだが、韓国ではこの副社長は逮捕されてしまった。
セウォル号の船員やナッツに激昂した副社長も、一般国民の感情からしたら、許せないというのはわかるが、その感情がそのまま警察、検察を動かし、司法の場へと持ち込まれるのは、「法の支配」よりも「感情」が優先されているとみられても仕方がないのではないか。事実そうであろう。
「法の支配」とは、厳密には、国家権力を法で拘束することで、国民の権利を守るというもので、必ずしも、その対象に「世論」は含まれないが、「世論」が国家権力を動かし、国家権力がそれに従い、歪んだ司法を形成しているとしたら、これはやはり「法の支配」のゆらぎそのものであろう。韓国国民の多くは、今は自分も大多数の「世論」側にいるため、「感情」が支配する司法に何の懸念も抱いていないようだが、一度、虚心坦懐に顧みるべきであろう。世論も司法もメディアも、また政治家もすべて敵にまわり、孤立無援となったときの絶望を。
なお、日本では、国民の「視点」、「感覚」を裁判に反映させるために、「裁判員制度」を導入しているが、一部ではこれに対しても「素人による感情を反映させた裁判」との批判もあるが、裁判員裁判はあくまでも、国民の司法に対する理解向上と信頼醸成を目的としているものであって、国民の「感情」を優先する韓国司法とは全くその性質を異にしているといえよう。(おわり)
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