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2015-10-09 00:00
第二次世界大戦時の米英関係に見る日米同盟のメリット
倉西 雅子
政治学者
先日、参議院で可決・成立した安保関連法案については、集団的自衛権の行使反対の立場から、違憲論を唱える識者が続出しました。その背景には、日米同盟強化に対する反対姿勢が垣間見られますが、第二次世界大戦時における米英関係は、日米同盟のメリットを再確認する歴史的教材となります。
1939年9月1日、独ソ両軍によるポーランド侵攻が開始されると、イギリスは、フランスと共にポーランドとの間で締結されていた相互援助条約に基づいてドイツに宣戦布告します。しかしながら、破竹の勢いで進軍するドイツ軍を止めることは出来ず、1940年5月までに、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクがドイツの手に落ち、遂にフランス北部にもドイツ軍が侵攻します。危機的状況に直面したイギリスは、ヨーロッパ大陸からの退却を決意し、ダンケルクから35万もの兵員を輸送する大規模な撤退作戦が展開されたのです。首尾よく撤退作戦には成功したものの、戦局が好転する見込みもなく、孤立無援の状況下に置かれたイギリス政府が進めた政策が、アメリカを戦争に引き入れることでした。
1941年8月には大西洋憲章が公表され、米英両首脳レベルでは参戦への筋道が付けられましたが、アメリカ世論が消極的であったことが障害となりました。このためイギリス政府は、MI6(秘密情報部)に世論工作の任務を託し、ドイツ脅威論を煽るなど、アメリカ国内の世論誘導に務めたのです。イギリス一国のみでヨーロッパ大陸を牛耳るドイツに対峙することはもはや不可能であり、アメリカこそ、唯一の頼みの綱であったからです。イギリスの苦悩は、同年12月の日本軍による真珠湾攻撃によって解消されますが、この時期、イギリスは、大ブリテン島へのドイツ軍上陸の悪夢に魘されていたのです。
仮に、第二次世界大戦に先立って、米英間に軍事同盟が結ばれていたならば、イギリスは、アメリカの参戦に苦労することもなく、ドイツもまた、対英戦争を意味する軍事行動に踏み切ることを躊躇したかもしれません。そしてこの歴史的事例は、今日、中国の軍事的脅威が高まる状況下にあって、日米同盟が第二次世界大戦時当時のイギリスと同様の苦悶から日本国を解放していることに気付かされるのです。
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