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2015-10-06 00:00
無意味となった”国連事務総長は小国から”の慣例
倉西 雅子
政治学者
ニューヨークの国連本部では、訪米中の中国の習主席と国連の潘事務総長の両人の”蜜月”ぶりが際立っていると報じられております。潘事務総長の御膳立ての下で、習主席は、”国連の主”のように尊大に振る舞っているようです。
国連の事務総長の選出に際しては、これまで、小国出身の人物を選ぶという慣例が踏襲されてきました。”大国出身者を事務総長のポストに就けると、国連が大国の影響下に置かれ、中立性を損ないかねない”、というのがその主たる理由です。小国出身者であれば、出身国をバックに国連の権限が濫用されるリスクが低減されますし、大国にとりましても、お互いにライバル国に重要ポストを握られるリスクを回避することができたのです。
ところが、藩事務総長の登場によって、この慣例は、無意味となったように思えます。小国出身であることは、必ずしも中立性保持の倫理規範遵守を保障せず、また、出身国が特定の大国に従属する場合があるからです。世界腐敗ランキングを見ますと、小国ほど腐敗指数が高い傾向にあり、期待とは逆に、小国出身者の方が中立性を蔑にするリスクが高くなります。そして、今般の国連での習・潘蜜月が示すように、近年の中国と韓国との急速な政治的な接近が、国連の中韓による”私物化”とも言うべき状況をもたらしているのです。
こうした問題点を考慮しますと、次期国連総長の選出に際しては、”国連事務総長は小国から”の慣例を見直す必要があるかもしれません。少なくとも、権力の私物化傾向が強い、あるいは、腐敗指数の高い小国からの選出は避けるべきです。国の大小に拘わらず、人物本位の人選とすべきですし、全人類のために貢献する意思と高い政治倫理を備えた人物こそ国連の事務総長として相応しいと思うのです。
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