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2015-10-04 00:00
(連載2)福澤諭吉の『文明論之概略』に寄せて
池尾 愛子
早稲田大学教授
福澤が西洋文明を語る時、しばしばミルの『自由論』(On Liberty、1859年)を参照している。福澤の議論を読みながら、今から10年以上前に、友人のヨーロッパ人研究者たちが言っていたことを思い出した。「日本人が西洋思想を研究する場合、ミルの On Liberty は必ず読んでほしい」という主旨だったと思う。「西洋思想を研究していないので、あなたに言っても仕方がないことでしょうけれど」と但し書きがついていた。
ミルの著作の多くには宗教の影響がほとんど出ないようであるが、『自由論』だけは特別で、他のどの著作家が書いたものと比べても特定宗教にどっぷりとつかっているといえるようだ。西洋文献も和訳になると特定宗教の色合いがかなり薄まることが多いが、On Liberty は例外で、和訳になっても宗教色が強烈に残っている(正直にいうと、On Liberty は私のてこに合わない)。
現在では、宗教は個人的なこと、私的なことに入るので、公な場で議論しないことの方が望まれるのかもしれない。しかし、19世紀以前あるいは1920年頃以前までは、宗教が社会科学の中でも大いに議論されたり意識されたりすることがあった。例えば、江戸時代の経済社会や文人の活動を見る時には、(特定宗教の色合いが出る)石門心学や石田梅岩の門下生たちの活動にも注目することになる一方、日本に限らず、宗教会所が人々のためのコミュニティあるいは衆会所を提供していたことも知られている。
福澤はといえば「人間交際」の場として、(土着の)コミュニティではなく、民間人が自らの意思で参加するソサエティ(会)に注目したことは記しておかなくてはならない。その上で最後に話を飛ばすことをご容赦願いたいが、「単なる衆会所」は中国ではどうなっているのだろうかと思うことがある。(おわり)
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