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2015-09-29 00:00
(連載1)安保国会をふりかえって
芹沢 健
会社員
今年の夏は安保国会に始まり、安保国会に終わった感がある。我が国の安全を保障する唯一の道は、「自衛隊」と「日米安保」という二本柱であり、これらを強化せんとする安保法案の成立は、必ずや我が国をして真に国際社会の一員たるの資格と実質を備えるための重要な一歩となるであろう。
しかし、同法案成立後の世論調査では、同法案に対し、「反対」「評価しない」「必要ない」などのネガティブな反応が目立ち、国民一般の支持が依然として広がっていないことが懸念される。だが、法案を成立させた安倍政権への支持率は低下したとはいえ、退陣を余儀なくされるほどではない。ここで、果たして国民の多くは、本気で同法案に反対しているのかとの疑問が湧いてくる。もしそうであるならば、政権の支持率も急落し、岸内閣の二の舞いとなるとなるはずなのに、そうした気配は全くない。そこで以下では反対派の主たる理由をみてみることで、国民の真意はどこにあるのか、探ってみたい。
まず、反対の理由として多く叫ばれるのが、「戦争反対」という漠然としたもの、「民主主義に反する」といういわゆる国会などでの審議が不十分であるというもの、「立憲主義に反する」という例の憲法学者の意見に便乗したもの、などがあったが、政策論からの真に国益を考えた反対は皆無であった。
「戦争反対」という漠然とした理由だが、これは、戦後70年の我が国の平和と繁栄の要因を憲法9条によるものと誤った安全保障観に基づくと思われる。国会前のデモなどで、こうしたプラカードを持つ人々が、特に若者を中心に予想外に多かったことに、少し驚いた。けだし、こうした世界的に見ても極稀な誤った認識が、我が国では少なくない割合で人々に浸透しているということは、或いは、我が国が抱える最大の「今そこにある危機」なのではないか。話はそれるが、1983年、「米国企業の競争力喪失」という危機感を背景に教育改革を通じた社会・文化の再建を訴えた『危機に立つ国家』(A Nation at Risk)という報告書がレーガン米政権に提出され、当時大きな話題となったが、今、我が国においても、「不安定な安全保障観」という危機を除去すべく根本的な教育改革が必要なのではないか。(つづく)
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