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2007-02-02 00:00
連載投稿(1)日本のPKO派遣と東ティモール
伊奈 久喜
新聞記者
わずかふたりだが、日本にとっては意味がある。文民警察官ふたりの東ティモールPKO派遣である。1月31日に出発した。文民警察官はPKOのなかでも最もニーズが高いが、日本の警察は1992年のカンボジアで高田警視が亡くなった衝撃から生じたトラウマが長く続いたが、今回の派遣はカンボジア以来初めてではない。警察庁はトラウマが癒えぬなかで1999年にも文民警察官を派遣している。
記者は東ティモールに1999年12月と2004年11月に行ったことがある。二度目の取材の後に次のような原稿を書いた。
ーーー
1945年と50年の日本の違いもこうだったのだろうか。5年ぶりに東ティモールを取材した。
75年にポルトガルからの独立を宣言したこの国は76年にインドネシアに併合され、99年夏の住民投票でそれから脱した。併合派民兵による騒乱が起きたのはこの時である。
前回訪れた99年12月、この国は国連占領下に見えた。20カ国からなる多国籍軍が地域を分担して治安維持と人道支援に当たり、国連車両が走り回る。首都ディリ市内の建物はほとんど壊され、外国人と見ると半裸の子供たちが「ミスター、ミスター」と写真をせがんで群がってきた。
いまディリ市内に外国兵の姿は見えない。国連車両も目立たない。壊された建物は元に戻った。群がってくる子供はいない。学校に行っているからだ。米ドルが通貨になり、ポルトガル料理もあれば日本料理の店もある。3ドルの海鮮そばがおいしい中国料理店には地元の人たちもいた。
アルカティリ首相はそれを「成功物語」と呼んだ。(2004年12月5日、日本経済新聞朝刊)(つづく)
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