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2015-08-29 00:00
カレルギーと欧州統合
池尾 愛子
早稲田大学教授
最近、リヒャルト・クーデンホーフ-カレルギー(1894‐1972)に関わる新聞記事を目にした。私も彼について調べた事があるので少し書き留めておきたい。彼の父が駐日オーストリア-ハンガリー公国代理公使で、そしておそらく母が日本人であることから日本ではしばしば言及され、彼に言及する人が政治家・政治学者を含めて何人かいるものの、詳しく論じることが難しい人物であるかもしれない。「カレルギー」でウェブ検索をかければ、信憑性の高そうな情報がいくつか出てくるので、そうした情報を幾つか照合することもできる。
日本では1920年代前半に「パン・ヨーロッパ」を唱えた人として「知る人ぞ知る」人物である。それゆえ2002年に、欧州連合(EU)本部のあるブリュッセルを訪れた時に彼の事を尋ねてみた。私が質問したベルギー人は長らくEUで働き引退したばかりで、カラージー(「カレルギー」の英語での発音)を知ってはいた。しかし、オーストリアのEU加盟が1995年と、1993年のEU誕生以後になることを指摘した。そしてハンガリーは2002年当時まだ未加盟であった(2004年に加盟)。1993年のEU結成後に加盟した国の人物は欧州統合に尽力した人であるとは呼びにくいようであった。
国際通貨基金(IMF)や世界銀行などグローバル機関の場合には、その専務理事や総裁、スタッフたちはグローバル機関の人間として行動し、その言動に出身国の国籍はほとんど感じられない。しかし、EUでは官僚や公務員、専門職として働いている場合でも、EUという国際地域機関で働く公僕であると共に、加盟出身国の代表も兼ねているようなところがあり、ナショナリティ(出身国籍)が切り離せないように感じられる。EUで働く場合はむしろ、半分EU人、半分加盟国人でよいのかもしれないと思うこともある。
現在でも「EU創設の父たち」に彼は入っていない。EU加盟諸国の事情が垣間見えてくるような思いがする。「パン・ヨーロッパ」の唱道者の一人であったとしても、1993年のEU設立前に、彼の国が欧州共同体(European Community)に加盟していなかった事実は重いように感じられる。リヒャルト・クーデンホーフ-カレルギーを知らないオーストリア人やハンガリー人が来日しても、気にかけずに交流していただきたいと希望する次第である。
(「EU創設の父たち」例 http://europa.eu/about-eu/eu-history/founding-fathers/index_en.htm)
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