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2015-08-20 00:00
(連載3)戦後70年の総理談話に想う
三浦 瑠麗
国際政治学者
今般の総理談話は、歴代のものと比較しても長文であり、多様な要素を含んでいます。今後、談話のいろんな箇所に着目しながら論評が繰り返されることでしょう。個々の文章は、意図を持って練り込まれたものでしょうから、それは意義深い作業だろうと思います。以下では、私が重要と思う箇所を3点程指摘したいと思います。
まず、日本が国策を誤るに至った経緯について記述した箇所です。「(前略)日本は孤立感を深め、外交的・経済的な行き詰まりを力の解決によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止め足りえなかった。こうして日本は世界の大勢を見失っていきました」。この点は、日本国内の諸制度がいかに無力であったかを振り返っています。戦前の日本は、政軍関係に大きな問題を抱えていただけでなく、軍部の中の規律さえ崩れていました。憲法上の制度としても、国民への浸透度という意味で民主主義は極めて脆弱でした。日本は、破滅へと続く道であると知りながら、それを避けることができなかった。この点は、現在の日本の民主的なリーダーである総理大臣が言及し、反省を刻み込むべきとても重要な点です。戦前の過ちの教訓を現代にいかす、もっとも重要な視点であると思います。
次に、諸外国における犠牲について語った箇所です。「一人一人にそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実を噛みしめるとき、今なお言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じえません」。そのとおりだろうと思います。私には、付け足す言葉が見つかりません。戦争が、その本質において悪であるのは、人間の当たり前の幸せを破壊するからです。過去の日本の行為も、それ故に罪深いのだという表明です。談話に対しても、安倍政権に対しても、賛成でも反対でもかまわないと思いますが、もう一度噛みしめなければならない言葉だろうと思います。
最後は、戦争責任の時間的な延長について指摘している箇所です。「あの戦争に何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。終戦から、70年の歳月が流れ、我が事として戦争を知る世代は随分と少なくなりました。真正な反省の前提は、真正な不正への参加です。戦争が終結した時点で、指導的な立場にいた方で、今なお指導的な立場にある方は誰もいません。ということは、本当の意味で責任を取り、真正な謝罪を行える人は誰もいないということです。総理の孫でさえ、祖父の責任を肩代わりすることはできないのです。(つづく)
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