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2015-08-19 00:00
(連載2)戦後70年の総理談話に想う
三浦 瑠麗
国際政治学者
私は、今般発表された総理談話は、率直にとても良い談話であったと思います。それは、保守的な政権における安倍晋三という政治家の一つの集大成でもあるでしょう。歴代の総理談話に数倍する長さの談話は、ある意味、安倍政権が一番やりたかったことだったのではないでしょうか。総理の会見からは、かつての小泉政権における郵政解散のときのような気迫が感じられました。事前にメディアに情報を流して期待値をコントロールするやり方も、同盟国や周辺国への根回しや牽制のやり方も秀逸なものでした。それが、政権にとっての最重要課題であったことを物語っています。
談話には、有識者の意見を幅広く聞き、収斂するはずのない意見を摺り合わせ、今現在到達可能な最大公約数の認識に到達すべく努力が重ねられた跡が感じられます。最右翼を除く保守からマイルドなリベラル層までを射程に捉えています。もちろん、安倍政権が嫌い、日本が嫌いという理由から、様々な理由を持ち出した批判が展開されるでしょう。それらは、民主主義の帰結として当然です。
談話が、最大公約数を目指した妥協の産物であるというのは、民主的な制約の下にある政権の姿勢として評価すべきことです。民主主義の結果としての、妥協の産物ではありながら、総理の発言から、方便として言っているという印象は受けませんでした。過去の談話に盛り込まれたキーワードがそのままの形で網羅され、過去の日本の過ちが望むべく限りの具体性を持って言及されても、本意でないことを嫌々言わされている談話に力はありません。20年前の、社会党出身の総理が敷いた路線を、政権交代の時代の保守政権のトップにそのまま引き継げというのは、その時点で無理があります。言葉は引き継げても、感情は引き継げませんから。今般の談話は、総理自身にとっても自民党の保守的な勢力にとっても、偽りのない範囲のぎりぎりの線だったのではないでしょうか。諸外国、とりわけ中韓がどのように反応するかはわからないけれど、気にいらないものの、許容するという範囲には納まっているはずです。欧米については、文字面を素直に読んだ英語話者であれば感心するのではないでしょうか。米国の責任ある立場からは肯定的な反応が返ってくるはずです。
日本における歴史問題が政治的な重大問題となるのは、国内における冷戦が終わっていないからです。日本国内における左右対立の存在が、歴史問題に外交カードとしての力を与えているからです。その意味で、国民の最大公約数が合意できるかもしれない歴史観が提示されるということは、戦争が終わり、冷戦が終わり、転換期を迎える国際社会で生きる日本にとって重要なことです。(つづく)
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