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2015-07-31 00:00
(連載5)安保法制の政治的意味合い
三浦 瑠麗
国際政治学者
こと安全保障に関する限り、私は戦後日本的なるものに相当程度懐疑的です。そこには、リベラル勢力の欺瞞があり、保守勢力の憎しみと倍返しの感情があり、左右双方に視野狭窄があります。ごまかしに立脚した憲法解釈の微細加工という方法論にそもそも限界があるとも思っています。もちろん、外交や安全保障の世界には一定程度の建前や偽善がつきものです。それを許容することは、成熟の一つの形ではあります。たちが悪いのは、欺瞞の中でも、自己欺瞞であり、欺瞞であることさえ忘れてしまうことです。
同時に、戦後日本的なるものは我々の血肉となり、現代の社会を支えています。活力ある経済も、男女の平等も、教育や福祉の充実も戦後日本の成果です。安保法制をめぐる活発な議論も、戦後リベラリズムが築き上げた言論の自由という台座の上ではじめて可能となったものです。
政治の世界において、戦後的なるものの中には、いくつかのタブーを除き、ある種の寛容性がありました。それは、自民党という政権政党の中に存在したことで特に意義深いものでした。選良を見抜く良識というものもありました。民意とは別の次元で、一種の知的な伝統として、ゴロツキやイデオローグ達は、権力の中枢から排除されてきました。
安保法制が有している政治性についてもっとも強く感じることは、現実的な安全保障政策と戦前的なるものは同一視されるべきではないということです。この点については、浅薄なレッテル貼りを行う左派勢力とも、不届きな発言を行う右派勢力とも一線を画する必要があります。安保法制は、政治的には、日本にとっては戦後日本的なるものを乗り越える一つの試練です。それは、必要な試練だと思っています。ただし、その過程で、戦後日本的なるものの成果については、いささかも揺るがせにしてはならないのです。(おわり)
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