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2015-07-29 00:00
(連載3)安保法制の政治的意味合い
三浦 瑠麗
国際政治学者
さて、誤解を恐れずにいえば、安保法制が政治性を帯びているのは政策変更の重大性故ではありません。政治的対立が高まっているのは、それが、戦後日本の自画像をめぐる闘いだからです。集団的自衛権の行使は、それをどう呼ぶかは別にして朝鮮半島危機を想定した周辺事態法において、既に事実上認められています。
今般の安保法制のポイントは、日本の存立が脅かされる場合という限定はつけながらも、集団的自衛権の行使を正面から認めようとしていることです。「保有しているけれど行使できず」としてきた、政府の憲法解釈を変更するものであり、戦後日本に存在してきた重要な政治的合意を覆すものです。この、政治的合意には強い政治的感情が宿されてきました。私自身、改めて政治というものが持っている威力を感じています。政治的立場が、家族や友人や職場における人間関係に波及し、社会が全体として政治性を帯びていくという感覚です。それは、政治的な動物であるところの人間が、しばしば、信念によってではなく「敵」によって自らを定義してしまうという現象です。その方の識見を知っている者として、どうして?と思うことがそこかしこで起きる。日頃は、対立を覆い隠すことに長けている日本社会であるからこそ、対立の存在にはっとさせられます。
私は、世代として60年安保を知りませんが、現在の状況は、当時を生きた世代がくぐった感覚につながるのかもしれません。60年安保の時には、日米同盟を前提としてその双務性を高めたいという側と、憲法の理想に沿って非同盟中立を志向する側の対立がありました。そこには、同時に、戦後の日本社会を形作る様々な政治的象徴性が宿されていたのです。それは、戦前・戦中から連続性を持っていた指導層に対する戦後派の異議申し立てでした。いまだ特権的雰囲気を持った学生達が田舎出身の若い警察官を小馬鹿にするという大衆化前夜の日本社会の時代性も宿していました。平和憲法を戴きながら自衛隊を増強する政府を攻めるデモ隊の熱気は、岸内閣の退陣をもって頂点に達します。奇妙だったのは、後継内閣が低姿勢をとり、空前絶後の高度経済成長のエンジンが回り始めたことで、成功した社会運動が急速に萎んでいったことでした。
戦後日本のごまかしの象徴であった日米安保体制は、国民から支持を集めて定着し、官僚的に高度化されていきます。安全保障の根幹を日米同盟に依存しつつ、そのことにはなるべく触れずに、平和のための諸制限を自らに課していく戦後日本の自画像が完成したのでした。(つづく)
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