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2015-07-24 00:00
70年談話には「お詫び」は必要ない
杉浦 正章
政治評論家
元首相・村山富市が7月23日国会前で「戦争法案反対」のシュプレヒコールをあげたが、このところ社会主義者の本性丸出しの発言が目立つ。年を取ると幼児化現象が起きるというが、まさかそうではあるまい。しかし首相たるものが安保法制の内容もろくろく読まずに「戦争法案反対」のレッテル貼りでもないと思う。このような首相が、「社会党政権」の雰囲気に押されて出した談話を、首相・安倍晋三がそっくりそのまま引き継ぐ必要は無い。とりわけ「お詫び」は必要ない。村山は全部引き継ぐよう要求しているが、首相経験者としての自覚が足りない。「お詫び」は村山が一手に引きうけたのであって、後輩にまで「詫びろ」というのは、自覚が足りない。70年談話の内容については超秘密も良いところであり、推理力を働かせるしかない。しかし安倍の過去の発言から見れば、全体像が自然と浮かんでくる。まず、村山談話の中核は「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の3点セットである。「植民地支配と侵略」「心からのお詫び」について安倍は「同じ言葉は使わない」と言明している。「侵略」については「侵略の定義は定まっていない」が基本的な考えだろう。ただ「70年談話有識者墾」では「必要」「不要」の両論が出ており、何らかの表現は受け継ぐかもしれない。「痛切な反省」については、既に4月29日の米議会演説で同じ言葉を使っている。これに先立つ4月24日のバンドン会議でも「バンドン平和10原則」について「日本は、先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べ、「大戦の反省」に言及した。したがって「痛切なる反省」はまず継承される方向だ。
この結果最大の焦点は「心からのお詫び」に絞られるが、安倍は「同じ言葉を入れるのであれば、談話として出す必要はない。村山総理は村山総理として語られた。小泉総理は村山談話を下敷きとした。(同じ談話を出すなら)名前だけを書き換えれば良い」として強い拒絶反応を示している。こうした気持ちを集大成して満を持して行ったのが米議会演説である。この中でスタンディング・オーベーションを受けた部分の一つが「先の大戦に対する痛切な反省を胸に刻み、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。これらの思いは歴代首相と全く変わらない」である。筆者は70年談話の基礎になるのがこの部分であると考える。3点セットに照らし合わせると、まず「痛切な反省」はそのままの言葉でクリアしている。次ぎに「植民地支配と侵略」は「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」である。そしてお詫びについては言及していないが、「これらの思いは歴代首相と全く変わらない」に含まれていると言えば含まれている形にしている。
この骨格に対して関係国がどう反応するかだが、米政府は、議会が万雷の拍手で歓迎した発言に文句はないだろう。国務次官補・ラッセルが7月21日、「(安倍)首相には、前任者たちと同じように、日本の政府と国民が第2次世界大戦について思い、示してきた反省の気持ちを表明してほしい」と発言したが、「反省」はとっくに表明しており、問題はない。ラッセルは入れると分かっているから発言しただけだ。問題は中国と韓国だ。両国とも国民の不満の目を日本にそらすことに歴史認識を使う方向では同類だが、ニュアンスは違う。その違いにくさびを入れるかのごとく日本外交の根回しがあるように見える。中国は国家安全保障局長・谷内(やち)正太郎が今月16日に北京で国務委員・楊潔チと会談して根回しをした公算が濃厚だ。会談で70年談話が話し合われたことは間違いない。中国は首相・安倍晋三のバンドン発言について駐日大使・程永華が「中国は具体的にどういう言葉を入れるかについては要求していない。戦争を反省し、歴史を繰り返さない誠意を見せて欲しい」とやや柔軟に見える。しかし新華社電は3点セットを要求しており、微妙だ。バブルが弾けて中国経済は危機的状況にあり、日本との経済交流を推し進めたいときであり、俯瞰すれば談話より経済の本音も垣間見える。
一方韓国は、どんな談話でも悪意のあるマスコミが「あれがない。ここが悪い」と非難するのは間違いなく、ただでさえ支持率低迷を気にする朴槿恵もこれに同調することは確実である。何を言ってもさらなる要求をしてくる国であり、とりわけ「お詫び」がない事には、強い反応が出ることは間違いない。しかし日本が米中との根回しに成功すれば、歴史認識でも韓国は孤立する。朴槿恵も早々に矛を収めざるを得ないだろう。ドイツのメルケルがフランスとの和解について「隣人に恵まれていた」と発言したが、これは日本が隣人に恵まれていないことへの同情論でもある。そもそもドイツは首相・ブラントがワルシャワでユダヤ人虐殺の記念碑のまえでひざまずき、大統領ワイツゼッガーが「過去に目を閉ざすものは、現在も盲目になる」と名言を吐くなど、演出がうまいが、明白なる謝罪など全くしていない。ドイツ人は古傷に触れられることに不快感を抱いており、これは日本と同じだ。日本としては寛容なる隣人の存在がうらやましいが、少なくとも「謝罪」の繰り返しは、いいかげんにうんざりだ。やめることが正解だ。詫びてばかりいると国民のサイレント・マジョリティの意気消沈と自信喪失の方が怖いからだ。
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