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2015-07-05 00:00
1995年の東アジアシンポジウムを振り返る
池尾 愛子
早稲田大学教授
1995年8月31日と9月1日に東京にて国学院大学主催で開催した東アジア国際シンポジウムの英文会議録『20世紀東アジアの経済発展』(Economic Development in Twentieth-Century East Asia: The International Context, Routledge, 1997)のペーパーバックが、先月登場した。「20世紀東アジアの経済発展と国際環境」をテーマとするシンポジウムで発表された諸論文を各自で英文にしていただいたもののうち、論文集としてのまとまりを重視して編集したものである。もっとも、6人の中国人研究者の投稿は優先的に採択したことも記しておく。中国本土の研究者の書く英語が、日本人の書く英語と違うことは興味深かった。日本の事をよく知る英語母語話者に日本で添削してもらい、出版社には中国の事をよく知るコピーエディターの手配を依頼した。出版社のウェブサイトでは目次や寄稿者がわからないが、オンライン書店のウェブサイトでみることができる。
同時通訳を付けたシンポジウム発表やパネル討論では、それ以前には公式会議の合間の非公式な場面でしか聞けなかった刺激的な話がまとまって公式に語られたかたちになり、中国通の研究者たちには特に興味深く、ある種の感動を呼んだようだ。英語論文になるとトーンダウンして「公的文書」に近くなるものもあったが、中国人研究者の執筆論文を含む会議録は当時としては珍しかったと思う。「社会主義・市場経済」の概念も誕生していたが、それが「外国企業と中国企業が合弁することで、外国の市場経済で培われた技術を中国社会主義のために使う」ことを意味すると、私がわかったのは21世紀になってからである。それでも改革開放を通じて、中国経済に市場経済が自然に生まれて広がっていたのである。
1995年には中国で開催するシンポジウムの案内が届いていたので、ついに中国人研究者たちも国際化する時が来たのかと期待した。しかし1996年以降、中国からの国際会議案内は数年以上途絶えた。中国通の日本人から、中国では教育改革が進行していて、その間3年ほど大学教員は無給で働くことになったと聞いていた。無給の大学教員に海外に出かけたり、国際シンポジウムを組織したりする余裕はなかったようだ。そして昨年9月に19年ぶりに Yu Xinchun 氏に中国で会ったのが、1995年シンポジウムの参加者であった中国人との初めての再会となった。私は彼以外には、中国人の寄稿者にもシンポジウム出席者にも会っていないのである。来日した人たちもいると伝え聞いている。私はその時の中国人研究者たちから避けられてきたようだ。
儒教と中国の経済展開に関する思想系論文を寄せてくれたアメリカ在住の中国人研究者にも会っていない。彼は儒教には両刃の剣のような特性があることを説き、儒教と中国の変化する経済政策についての思想的分析を展開した。読む人をなるほどと唸らせるような秀作であった。ウェブで検索すると、彼が中国で同様の主題で講演をしている一方で、職場でどうも苦境に立たされていることがわかった。中国国内では規制が多いためか、海外在住で中国を訪問する彼には特別な情報を提供してほしいという依頼があったのかもしれない。ペーパーバック登場の案内も送りにくい。中国人研究者とつきあう際にはやはり気を使うべきである。もしお願いすることができるならば、噂で他人を動かそうとする人たちは彼らに近づけないようにしてほしい。他の地域では、情報を共有し、議論して団結して、「噂で他人を動かそうとすること」は丁寧にお断りしているようなので、日本でもできないはずはない。
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