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2015-06-20 00:00
(連載4)安保法制:不思議の国の潮目を読む
三浦 瑠麗
国際政治学者
同盟を考える上で重要なのは、冷戦後、特にイラク戦争後の世界は、米国が「帝国」的な存在から、多極的な世界における大国へと変化していく時代にあるということです。この変化は、過去の帝国の権力移行と異なり、米国が民主主義国であるという点が際立っています。米国民の意思によってこの変化が加速する可能性が高いということです。世界の警察の座を下りた米国民は、同盟国にもギブ・アンド・テイクを求めるでしょう。民主主義国の国民感情として当然の動きであろうと思います。
米国は、日米同盟を通じて、日本が攻撃を受けた際には防衛義務を負っています。その義務をはたす過程で、米国兵がリスクを負い、血を流す可能性も当然あるでしょう。よくよく考えてみれば、すごいことです。
ちょっとした安全保障通の方から、「米国は日米同盟抜きでは超大国ではあり得ない」という意見をよく聞きます。米国から見ても日米同盟は重要であるという意味では、多少はあたっています。ただ、民主主義国の感情面をまったく理解していない意見です。民主主義国間の攻守同盟の根幹には信頼関係があります。この信頼関係がないようであれば、有事にはどのみち役に立ちませんから、同盟などはやめてしまうべきです。
私には、憲法学者が同盟に対して敵対的に思えてならないのですが、どういうわけでしょう。憲法をはじめとする国内法という「こちらの事情」と、対外関係を考える際の国際法や条約との間の一定の緊張関係に違和感があるのでしょうか。以上に申し上げたような感情面も含めた思考体系が性に合わないのでしょうか。国連憲章は、武力行使が認められる場合として、一国が行使する自衛権と、国際社会が共同して対処する集団安全保障の中間的な形態としての同盟を許容しています。今から何百年かたって、国際社会が平和の危機に共同で対処する時代が来るかもしれないけれど、当座の現実としては、同盟こそが殆どの国にとって最も重要な安全保障の枠組みなのです。しかも現在の東アジアにおいて、同盟や集団的自衛権を時代遅れのものとして語ることは、常備軍の廃止を訴えることと同じくらい「未来志向」の主張であることは踏まえておいていただきたい。(つづく)
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