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2015-06-16 00:00
60年安保から現安保法制を読み解く
杉浦 正章
政治評論家
筆者は慶応の新入生として「アンポハンタイ」デモに参加。銀座を蛇行して汗だくとなり、有楽町の駅のホームで数人とシャツを脱いで水道で体を洗っていたら、若いOLたちが歓声を上げて「頑張って」と応援してくれた。皆得意げであったが、それから早くも55年が過ぎた。その後時事通信社に入って社長・長谷川才次の“教育”を受けて、すぐに「転向」した。共産党を離党した急進派の全学連と違って、多くの学生にとって「アンポハンタイ」は時代の流行であった。実情は改訂安保条約の内容すら知らずに「ハンタイ」していたのであったのだ。翻って「アンポホウセイハンタイ」を見ると、政治的、国際法的に無能なる憲法学者たちを先頭に、これまた内容すら勉強せずに、レッテル張りのごとく「ハンタイ」を唱えている。歴史は繰り返すというが、60年安保と相似して、現在の「ハンタイ」もいかに観念論的であるかが分かる。岸信介が行った60年の安保条約改訂は、51年に締結された旧安保条約と比較して「日米共同防衛の明確化」など、平等条約の色彩を強めたものである。これが国会で成立していなかったらどうなっていたかである。まずソ連や中国の共産党と組んだ社会党や共産党が現在の体たらくではなかっただろう。ソ連からは莫大な資金が反安保闘争に流れ込み、中国は100万人集会で呼応している。日本の社会主義化が実現すれば、米ソ対立の構図は米国が一挙に不利となり、その後の世界戦略にも大きな影響を与えていたに違いない。国内政治も社会党はつぶれずに大きな勢力として自民党と対峙していただろう。もちろん現在の日本の繁栄はない。
一方、安保法制が実現しない場合にどうなるかだが、これは民主党政権時代に近隣諸国が行った屈辱的行為を見れば明白だ。中国は尖閣諸島に漁船を進入させて巡視船に衝突させ、韓国大統領は竹島に上陸、ロシア大統領は北方領土を視察といった具合に、日本政府をあざ笑ったのだ。民主党政権が続いていたら尖閣諸島は南シナ海と同様にグレーゾーン化していたかもしれない。日本の安保法制は世界的に見ても自由社会を支えるキーポイントである。安保条約も、安保法制も初夏から夏にかけての一大政治マターであることは同じだ。ただその緊急性においては若干異なる。岸は60年5月19日に衆院で強行採決で条約を可決しているが、成立を急いだのは1か月後に米大統領・アイゼンハワーの来日が迫っていたからである。条約自然成立の30日間を見込んでの強行であった。結局その後の闘争激化でアイク訪日は実現せず、岸内閣は倒れた。一方、安保法制は中国の覇権行為、北朝鮮の核ミサイル開発で遅滞は許されないが、国民を説得することは必要だ。政府・与党は会期延長で対処する方向だが、衆院可決後60日以内に参院が議決しない場合、衆院で出席議員の3分の2以上の多数で再可決することも考慮している。衆院可決後直ちに衆院議員は街に出て、国民にその必要を訴えるべきだろう。
1959年の世論調査の資料だが、安保条約の改定を「知っている」と答えた人は50%だが、「どういう点を変えようとしているのか」については、たったの11%しか知らなかった。現在の安保法制について読売新聞の6月の調査を見ると、安倍内閣の支持率は53%で、前回調査(5月)の58%から5ポイント下がった。安全保障関連法案の今国会での成立については、「反対」が59%(同48%)に上昇し、「賛成」の30%(同34%)を上回っている。反対闘争の広がりについては、安保条約の場合は社会党と総評が、共産党をオブザーバーとして「安保改定阻止国民会議」を結成。この組織は全学連とともにデモ隊の中核となった。現在の場合、労働組合は同盟ではとても内部が法制反対でまとまらず、組織化は困難だ。全学連に至っては見る影もない。衆院を通過する頃は大学は夏休みであり、多くの学生はアルバイトをして海外旅行や、海へ山へと流れるだろう。国会周辺は爺さん婆さん中心のデモにスポークスマンだけが若い者を起用したりしているが、熱中症で死人が出ないか心配だ。ここで政府・与党幹部が注意しなければならないのは、岸の発言の二の舞いである。岸は挑発してしまったのだ。強行裁決後5月28日の記者会見で「新聞だけが世論ではない」とか「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りだ。私には声なき声が聞こえる」と発言した。これを新聞が大々的かつ意図的に報道し、総評、全学連の闘争を後押ししてしまった。闘争は盛り上がり、6月15日の樺美智子「圧死」事件へとつながった。同事件がなかったら、岸政権は継続していたかも知れない。
しかし、この事件が契機となって新聞報道が大転換する。朝日も読売も似たような「アンポハンタイ」紙面を作って、とりわけ朝日はデモを扇動する傾向が強かった。しかし樺の死を受けて、広告の鬼と呼ばれた電通社長の吉田秀雄が朝日の論説主幹・笠信太郎と話し合い、一転して6月17日在京7社による「暴力を排し議会主義を守れ」という7社共同宣言を発するに至った。反対運動に冷水を浴びせた。強行採決直後の5月21日付の朝日新聞社説は笠の指示で「岸退陣と総選挙を要求す」を1面トップに掲載したばかりであり、大転換であった。共同宣言については「新聞が死んだ日」と左翼に言われることとなった。現在の全国紙の論調は安保当時と異なり、真っ二つに割れている。朝日、毎日が反対、読売、産経が賛成である。したがってやがては行われることになるであろう採決強行でも、読売、産経が納得するような形が好ましい。朝日は衆院採決の段階で、条約の時と同様の見出し「安倍退陣と総選挙を要求す」をトップに掲載することを企んでいるかも知れないが、驚くことはない。信念に基づいて行動すれば、必ず道が開ける流れだ。国会の議席数も岸の時は自民党が296議席で、安倍が291議席だが、公明党を加えると326議席と圧倒的だ。これに維新が半数でも加われば、ますます有利だ。問題は油断と政府・与党首脳の不規則発言だけだ。
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