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2007-01-22 00:00
中国経済への安易な楽観論を戒める
村上正泰
日本国際フォーラム主任研究員
1月8日付投稿「対露ビジネスには警戒心を持って望むべき」に対して、小笠原高雪山梨学院大学教授より貴重なコメントを頂戴した。「国家権力の恣意的介入から解放された市場経済の存立基盤がどれほど存在するか」という「類似の問題が中国にも存在している」との小笠原教授の指摘には、私も同感である。
中国の著しい経済成長には目を見張るものがあるが、私的所有権を始めとした法整備の遅れは円滑な経済活動を阻害しかねない問題となっている。近年、市場経済化の方向でさまざまな改革が進んではいるものの、依然として残る法制度の不備が悪用されており、関志雄氏によれば、たとえば国有企業の民営化や株式上場に当たって権力者たちが仲間内で安価に国有財産を山分けするなど、暴利をむさぼっている。こうした状況は汚職の土壌を作り出すのみならず、経済活動に大きな不透明感をもたらしている。中国経済が持続的な成長を続けていくためには、社会主義の残滓をいかに払拭していくかが鍵である。中国経済にはマクロ的な安定性などで他にもさまざまな問題があるが、いずれにしても安易な楽観論に流されることなく、中国経済のリスク要因を冷静に認識しておく必要があろう。
ところで、小笠原教授は、東アジアの地域協力を進めていくうえで「民主主義や市場経済といった基本原則の問題はどうしても素通りできない」と主張されている。協力関係を定着させ持続的なものとしていくためには「共通点の多い国々との連携を優先させるべき」との指摘はもっともであり、民主主義や市場経済といった基本原則について事あるごとに繰り返し確認することは重要である。
その場合、理念的な次元で基本原則を共有するとしても、具体的な制度のあり方は多様であるという点にも留意が必要であろう。市場経済にしても単に国家権力の恣意的介入を排除しさえすれば機能するものではなく、安定的な発展のためには何らかの枠組みが不可欠である。それらはそれぞれの歴史や文化という社会的文脈の中で形成されていくものであるし、政府によるある種の政策的介入が必要となる場合もある。しかしながら、たとえ開発主義が容認される場合があるとしても、それは市場経済を有効に機能させるために一定の環境の下で行われるものであって、決して経済活動に不透明性や不安定性をもたらすようなものであってはならないであろう。
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