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2015-05-26 00:00
(連載1)イスラム主義と復古主義
緒方林太郎
衆議院議員
最近、アフリカ、イスラム、そして最近の日本について改めて考えてみたのですが、最終的に行き着いた非常に簡単な原理が「追憶は純化される」でした。少し説明していきたいと思います。
アメリカで1992年前後に「Arrested Development」というグループが大ヒットを飛ばしました。グラミー賞も取ったと思います。有名なのは「Tennessee」、「Mr. Wendal」、「People Everyday」といったところです。映像を見ていただければ分かりますが、アフリカを追憶し、その意識に訴えるような内容です。リーダーのスピーチ(名前)は非常にアフリカ志向が強く、アフリカへの回帰を訴える曲調をウリにしていました。当時、大学生だった私は「ああ、アフリカってのはこういうものなのかな?」と思っていました。社会人になり、アフリカで過ごしてみて思ったのは、Arrested Development的なアフリカ観というのは所詮アメリカから見たアフリカに過ぎないということでした。
彼らの曲の中には非常に純化・美化されたアフリカが展開されているということです。その中から、彼らの理想に沿ったエレメンツだけを切り出して、それでアフリカというものを頭の中で構成しているようにしか見えませんでした。彼らはテネシー出身で、やはりその描くアフリカ観は何処まで行ってもテネシーの文化がベースであり、そこから遠い追憶だけで作り上げた感じがしました(ちなみに、彼らの出世作「Tennessee」の邦題は「遠い記憶」です)。そこにはどうしてもリアリティがないのです。なお、アフリカへの回帰を訴えたスピーチは、当時アフリカへの渡航経験がなかったそうです。
それと同じことを、イスラム(原理)主義にも感じます。特にイスラムがマイノリティである地域(先進国)で過激化するイスラムについては、それを強く感じます。イスラムが主要文化でない地域でのイスラムの発展の仕方には独特のものがあります。上記と似ていて、(現在の世の中に存在しないし、歴史のいずれの時点においても存在しなかった)原始イスラム社会を理想化し、その中にある一部の理想的要素だけを切り抜いて、それを現代に再現しようとしているように見えます。(つづく)
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