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2015-04-16 00:00
(連載2)裁判不信を招く高浜原発の判決
中村 仁
元全国紙記者
原発問題は、安全性の議論ひとつとっても多岐にわたるし、日本のエネルギーの安定供給、経済性(料金水準)、国際競争力、国際的な地政学との関係(中東情勢と原油輸入の関係など)、環境対策など総合的な判断を必要とする分野です。本来は地方裁判所の一裁判官の手にあまる問題です。司法のレベルにそれが求められたら、本来なら専門的知識を持った複数の人材を集め、結論を下すべきなのに、司法の世界では、それができないのです。
憲法76条は、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行う」としています。上司の命令、指示を聞くことなく、ひとりひとりが独立してやりなさい、と規定しています。最高裁の大法廷ともなれば、複数の裁判官の合議制となります。問題は、地方裁判所のように規模が小さく、1人で結論を下す場合です。民間企業でも、政府でも、検察・警察関係でも、重要案件ほど1人で取り組むということはありません。地裁レベルほど、妙な判決がでるものですね。
国の原子力行政や安全規制委員会もミスがあるでしょうから、部外者は文句をいうなということではありません。実際に、国や電力会社に任せっぱなしだったため、東電の大事故が起きました。問題提起は司法からも必要です。その場合、原発の安全審査に関する最高裁判決(1992年)で、「高度で最新の科学的、技術的な判断が必要であり、行政の合理的な判断に委ねられている」としていることをどう考えるかです。裁判所のレベルでは扱いにくい高度で科学的、技術的な判断が必要だから、最終的には行政(この場合は原子力規制委員会、安全規制庁)に任せるという判断です。
原発反対が基本の朝日新聞は社説で、「政府や電力会社への重い警告だ」と、やはり決定を評価しています。その朝日新聞も関連記事で、決定文に引用された大学教授が「計算式は平均像をもとにしているが基準振動ではもっとも大きい条件をとっている。裁判長が事実誤認しているのでは」との指摘を載せています。案の定ですね。ともかく、今回の決定は「原発のリスクをゼロにしろ」という要求にひとしいという論評があります。どうもそのようで、要するに「再稼動はもちろん、原発そのものも認めない」という考えなのでしょうか。そういう思想を持つのは自由にしても、そうなると司法というより政治、行政が決めるべき次元の問題となります。(おわり)
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