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2015-04-01 00:00
(連載1)3つのはぐらかし?
緒方林太郎
衆議院議員
先日の外務委員会、3つの話を聞きました。それぞれ異なるテーマなのですが、私的には共通の問題意識がありました。①村山談話・河野談話、②東京裁判、③安保法制の「既存の政府見解の基本的な論理」。これらについて、政府の説明の仕方が国民を惑わせるような要素があると、私の眼には映りました。なお、ここで「惑わせる」と言っているのは「説明の仕方」でありまして、それぞれのテーマそのものについての私の見解は最後に書きたいと思います。
まず、①についてですが、村山談話・河野談話について「全体として引き継いでいる」という言い方をしています。多分、現政権は引き継ぎたくないと思っているのでしょう。しかし、それを言ってしまうと、アメリカや中韓との関係で拙いと思っているので、「全体として」という言葉を付けてはぐらかしているのだと見るのが普通でしょう。「引き継いでいる」というのと、「全体として引き継いでいる」というのとでは、何かが違うはずです。わざわざ「全体として」と付いている以上は、何か「全体として」ではないかたちで引き継がないものがあるはずです。そこをはぐらかした形でやっていくのは、国民側から見ると「で、何が言いたいのだろう?」となるはずです。
引き継ぎたくない部分があるのなら、それをそのまま言うべきです。それを「全体として」という言葉を付けるから、「であれば、骨子くらいは受け入れているということになるよな。」という考え方に自然となっていきます。私が自分の発案でしつこく聞いているというよりも、現在の説明の仕方だと、当然にして「骨子を言ってください。」ということを聞かざるを得ないのです。はぐらかしたいという意図がありありとしています。
②については、明確にはぐらかしとまでは言えないのですが、質問主意書でのやり取り(質問・答弁)の中で、上記の「全体として」に似たような雰囲気を感じました。東京裁判の「裁判」のスコープについては明確に答えてもらっているのですが、それを「逐一受諾しているか」、「逐一異議を唱えないか」と聞くと、どうもはっきりとモノを言いたがらないところがあります。そうすると、自然に「全体としては受諾しているし、全体としては異議を唱えないけど、個々の部分については色々言いたいことがある。」ということなのですか、という問いが出てきます。ただ、これはサンフランシスコ平和条約で受諾した裁判の話ですから、それを「全体として」という表現ではぐらかすのは難しいでしょう。外相からも、何処かの部分を取り出して異議を唱えるようなことはしないという趣旨の答弁がありました。ここははぐらかしの要素は払拭されたと言っていいでしょう。(つづく)
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