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2015-03-06 00:00
(連載2)ピケティよりもブルデューか
緒方林太郎
衆議院議員
今、日本にこういう文化的再生産が出ていることをとても強く懸念しています。親の学歴、収入がそのまま継承されていくことの背景には、文化的、教育的な要素があり、教育システムが知らず知らずの内にその手助けをしているとすら言えるかもしれません。文化的再生産は数値化出来ないので見えにくいのですが、ブルデューはそれを上手く説明していると思います。
私個人の経験ですと、大学に入った時、(東京出身の)友人から「家にメシ食いに来いよ」と言われてノコノコ行ったのですが、その家庭環境の違いのみならず、会話で使う用語(+当たり前ですが出てきた食事)、すべてが別世界でした。「オードブル」といわれて、プラスチックのサークルトレーに入った唐揚げを連想した自分はこの場では異邦人だなと思いました。
多分、そういう数字に表れない文化資本とその再生産というのが、おカネの話を超えて、格差社会の根本のところにあると思います。マルクスとも、ピケティとも、ちょっと違ったスタイルの分析ですけども、実は日本の現状に一番沿っているのはブルデューではないかと思います。
既に鬼籍に入った方なので、御本人の話を聞くことは出来ませんが、経済学的に難しいピケティの議論に飛びつくくらいなら、こちらの結論の方がリアリティがあるように思います。ただし、ブルデューの本も無茶苦茶難しくて、読みこなすことをお勧めできませんけど。(おわり)
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