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2015-02-11 00:00
(連載1)戦後アメリカ経済学とユダヤ人達
池尾 愛子
早稲田大学教授
ノーベル経済学賞受賞者にユダヤ人が多いという事実に気づいている人も多いだろう。このほど、この事実の背景分析を含めて、アメリカ経済学の変化を学術的にかつ歴史的に研究した書物『MITとアメリカ経済学の変貌』が、米経済学史家ロイ・ワイントラウブの編集により出版された。1930年代半ば以降、ナチスの台頭を見て、中欧を離れたユダヤ人の科学者や経済学者達がアメリカに到着していた。
第二次大戦の終盤から、経済学博士号取得者に対する需要が上昇し始めたのは、国際通貨基金(IMF)や世界銀行の新設が予定されたことがある。これらの機関と協力して経済再建にあたる新設の国連でも、経済専門職への需要が発生しそうであった。それに対して、大学の経済学教師は不足気味であったため、動員解除と時を同じくして、ユダヤ人の経済学博士号取得者が堰を切ったように多くの大学で採用され始めたのである。
MIT(マサチューセッツ工科大学)では、1930年代に経済学系学部が創設された。科学志向の研究大学を目指し、ポール・サミュエルソン(1915‐2009、ハーバード大学博士号取得)の助けを借りて、1941年に産業経済学の大学院コースが新設された。彼には出身校からのものを凌駕する魅力的なオファーを出し、他にも差別することなくユダヤ人達を先進的に採用した。
サミュエルソンは物理数学を積極的に用いて経済学を数理科学に変貌させ、計量分析を使って論文を書くことはなかったが、経済データは熱心に参照して、紙にペンを走らせて経済モデルを作り、現状を分析しては適切な政策は何かを考察するのが得意であった。そして、彼は1970年に第2回ノーベル経済学賞受賞者となる。彼は景気後退の際には景気刺激策をとることを推奨し、「混合経済」という概念を教科書で用いた人である。これは政治的には「リベラル民主党員」(liberal Democrat)の核心になる考え方であり、実際、彼は「リベラル民主党員」あるいは「中道」とみなされた。(つづく)
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