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2015-01-19 00:00
(連載3)370万人のデモ大行進の現代史に置ける位置
中村 仁
元全国紙記者
テロを封じ込めるという目先の対策だけで、本質的問題が解決するのでしょうか。首脳としては社会的な格差の拡大がテロの温床なっていることを認めたくないです。そこから目をそらさすために、空前の規模のデモに便乗して、かれらはその先頭に立ち、自分たちは必死に動いているのだというポーズを見せる必要があったようにも思われます。
欧州社会の反応は、テロと隣りあわせの社会で生きており、自分たちがいつその犠牲になるか分らないという恐怖心からきているところもあるでしょう。これまで正面から向き合おうとしてこなかった問題、軽視ないし無視してきた問題が表面に浮上し、自分たちの足元の地盤が揺らぎ始めたという不安や恐れはないでしょうか。
イスラム側が使う武器、兵器は自給できません。武器、兵器なしにテロも戦争も仕掛けられません。欧米、ロシア、中国が直接、間接に供与してきました。それが今、自分たちに向けられているというめぐりあわせに、欧米社会は何かを感じていないわけはないと思います。この問題を含め、今回の事件には、震源をたどれば、自分たちがとってきた行動に行き着くという面があるに違いありません。
最後に。英フィナンシャル・タイムズ紙は社説で、「事件と同じころ、ナイジェリアで2,000人にのぼるかという人がイスラム過激派に虐殺された。アフリカ、中東における過激派の攻撃に、欧米社会は反応が薄い。犠牲者が西欧人でないと、関心が低いのか」と指摘しました。370万人というデモの大行進は、危機感の落差、命の価値の落差があることも示していないでしょうか。今回の事件は現代社会そのものに多くのことを問いかけているようです。(おわり)
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