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2015-01-17 00:00
(連載1)370万人のデモ大行進の現代史に置ける位置
中村 仁
元全国紙記者
イスラム過激派による銃撃テロ事件の衝撃、波紋が広がりをみせています。追悼デモがなんと怒涛のような規模の行進に発展し、「パリ解放」(1944年)をしのぐ歴史的規模になったそうです。フランスの国会議場で議員全員が一斉に国歌の斉唱を始め、第一次世界大戦以来という現象がおきました。問題の週刊紙が通常の100倍の500万部が売りきれるなど、現代史の焦点はフランスに集まっているかのようです。宗教対立が背後にある文明の衝突なのか、移民に対する差別を組み込んだ欧州の根深い社会問題が底流にあるのか、西欧民主主義の基盤である「言論の自由を守れ」はどこまで許容されるのか、イスラム過激派組織のテロリストの暴発なのか、現代の世界を考察するさまざまな解説、分析がこれから無数に登場し、現代史における位置づけがなされていくでしょう。
犠牲者17人に対し、1万とか2万人の追悼集会、デモなら驚きません。それが、仏独英などを中心に50か国の首脳らが行列に加わり、フランス全土で370万人もが参加したとなると、戦争でも起きたのかと思いますよね。実際、仏首相は「われわれはテロとの戦争に入った」と宣言しました。イスラムの専門家の「イスラム・イデオロギーに基づく革命戦争の一環だ。イスラム対非イスラムの戦争の一環としてのテロ戦術だ」という解説もあります。
今回の事件を理解するには、多面的なアプローチが必要ですね。同じイスラムといっても、過激派が意識するような「非イスラムとの戦争」を穏健派も共有しているのかどうか。言葉としての「戦争」はあっても、欧米に挑戦できる軍隊、武器、兵器を備えておらず、はやり「テロ」なのか。「テロ」という規模では片付けられず、「テロと戦争」という性格を両有しているのか。伝統的な「戦争」の概念を広く考えるべき時代に入ったのか。
フランスを初め挑戦される側からみた問題も多岐にわたります。「言論の自由」といってもおのずから制約、節度を持たなければなりません。では、どこまでが「自由」なのか。さらに、そもそも民主主義も「言論の自由」もない過激派組織にそんな権利を主張しても通じないではないか。同じ価値観を共有しない相手にどこまで主張できるのか。これは中国、ロシアに対する問題でもありましょう。敗戦によって、「民主主義と言論の自由」が与えられた日本と、血みどろの歴史の闘争を通してそれを獲得していったフランスなどとは、「自由」の持つ重さが違っているのではないか。(つづく)
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