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2015-01-03 00:00
(連載1)安倍政権は沖縄に〝度量〟を示せ
尾形 宣夫
ジャーナリスト
昨年暮れ、知事就任のあいさつで上京した沖縄県の翁長雄志知事が、首相官邸の玄関をくぐることもできずに帰任した。翁長氏は安倍政権の辺野古移設に反対して11月の知事選で圧勝した前那覇市長、根っからの「保守」である。直面する普天間飛行場の辺野古移設問題の一方の当事者でありながら、関係閣僚とは会えず、唯一話ができたのは辺野古移設とは無縁の山口俊一沖縄・北方担当相だけだった。12月24日に特別国会が召集され首相指名や第3次安倍内閣発足など日程が取れなかったようだが、国と沖縄県のギクシャクした関係を考えれば、ごく短時間でも時間は取れそうなものだと思うのだが、官邸にはその余裕さえなかったということだろうか。それとも、辺野古移設反対の知事だから「会っても仕方がない」と袖にしたのか。いずれにしても、翁長氏の「空振り上京」は、政権と沖縄の溝の深さを浮き彫りにした。こんな状態では、辺野古移設が一段ととげとげしくなるのは避けられない。
翁長知事が胸の内を政権首脳に伝えられないまま沖縄に戻った心境は、複雑だったに違いない。政治キャリアの長い同氏だから思うところはあるだろうが、首相官邸に相手にされなかった知事を見た県民の政権不信がさらに高じることが心配される。現に、地元紙は県民のいら立ちを伝えている。安倍政権誕生以来の歩みを見る限り、政権が辺野古移設の方針を見直すとは考えられない。過去の国と県の関係を思い返すと、双方の関係悪化は振興計画の凍結、予算の減額、対話の場の喪失といった形で表れる。普天間問題が暗礁に乗り上げた1998年の橋本竜太郎政権と大田昌秀県政の関係断絶が好例だ。昨年初めの名護市長選に続く知事選、さらには先の衆院選で、辺野古移設に反対する沖縄県民の民意は動かし難い現実となった。知事はこの民意を安倍政権に伝えようと、あいさつを兼ねて上京したのである。だが知事を待っていたのは、心配していたとおり辺野古移設計画を既定のものとする政権の厚い壁だった。
翁長氏の上京は特別国会召集日だから、政権側の日程が詰まっていたことは間違いない。菅義偉官房長官は24日の初閣議後の記者会見で「官邸へ何ら連絡はない」と沖縄県から官邸訪問の申し入れがなかったと語った。県側は「申し入れた」と言っていて、話がかみ合わない。だが問題は、国政の日程が立て込んでいるとか、県からの連絡があったとか、なかったとかの問題ではない。知事は当選後、上京して政権に辺野古問題で県民の意思を伝えたいと再三語っている。官邸が知事の動向に無関心であるはずはない。県側からの官邸への面談申し入れがどういうルートで、どうなされたか詳細は分からないが、辺野古移設反対の知事だから訪問の申し入れが内閣府どまりになっていたとは考えにくい。官房長官は畳み掛けるように26日午前の会見で「(知事とは)年内に会うつもりはない」とにべもなかった。まさに、取りつく島もない、である。知事は都内のホテルで官邸や関係閣僚からのアポイントを待ち続けたという。
菅官房長官の会見(24日)を首相官邸のホームページで見ると、翁長知事の上京について長官の冷めた答弁が響いてくる。「県から何ら連絡がない」「まずは沖縄担当相と会うだろうから、その報告を聞きたい」「(面談は)申し入れがあった時点で考える」。およそ政権が直面している難問を、これから話し合おうという相手として翁長氏を見ていないかの印象である。以後の会見でも長官は今後の沖縄振興予算について「振興費が具体的にどう使われているのかチェックした上で、査定する」と述べ、振興予算が減額される可能性を示唆している。政権に抵抗すれば、財政支援は減額されるという、過去にもあった〝仕打ち〟が再現されるのだろうか。(つづく)
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