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2014-10-30 00:00
(連載1)イスラーム国空爆にみる欧‐米の温度差の深淵
六辻 彰二
横浜市立大学講師
イラクとシリアにまたがる地域を制圧したイラク・レバントのイスラーム国(ISIL)が6月29日にイスラーム国(IS)を名乗り、イスラーム国家の樹立を宣言してから3か月余りたちました。外国人や異教徒だけでなく、従わないものは同じスンニ派であっても処刑・弾圧の対象とするISに対して、米国は8月8日からイラク領内で空爆を開始。9月23日以降、シリアでも空爆を始めました。ISに対抗する「有志連合」には、米国をはじめ50ヵ国以上が加わっています。有志連合は国連憲章で規定された「国連軍」と異なり、参加の有無だけでなく、活動内容も各国が独自の判断で行うことができます。今回、イラクでの空爆は米英仏に加えてベルギーやデンマークなど、さらにサウジアラビアやUAEなどのアラブ諸国も参加していますが、シリアでの空爆にヨーロッパ勢は参加していません。その他のドイツをはじめアルバニア、チェコ、デンマーク、エストニア、イタリア、ポーランドなどの活動も、後方支援、輸送、現地友好勢力への軍事訓練や物資提供がほとんどです。つまり、ISを共通の脅威と捉える点で有志連合は一致しているのですが、他方でその対処へのかかわり方には温度差があるといえるでしょう。
占領地で無関係の市民、外国人に蛮行を働くISの台頭は、人道的に看過できないものです。また、ISが欧米諸国でのテロ活動を画策しているという情報もあり、その脅威はイラクやシリア、あるいは中東にとどまるものではありません。さらに、SNSなどを通じて世界中から、特にホスト国での差別や偏見によって社会的に不満を抱いているムスリム移民系の若年層をリクルートしている状況は、ホームグロウン・テロやISメンバーの補充といった意味で、憂慮すべき状況といえるでしょう。その一方で、ISの台頭は米国の戦略によって促されてきた側面も否定できません。イラクのメルトダウンは、「対テロ戦争」の一つのハイライトともいえる2003年のイラク戦争に端を発するとみて間違いないでしょう。その一方で、最近欧米の保守系メディアでは、オバマ大統領が2011年末にイラクから米軍を完全撤退させたことが力の真空を生み出し、ISの台頭を促したというオバマ批判が鮮明です。保守系といわずとも、イラク戦争でブッシュ政権と行動をともにし、それが後に批判の対象となった英国労働党のブレア元首相も、やはりオバマ大統領の責任に言及しています。
イラク戦争がイラクの混乱とムスリムの敵意を増幅させたことは、否定できません。その一方で、抑え込んでいた力がなくなったことが、ISの台頭を加速させたこともまた、確かです。つまり、ISの台頭はブッシュ政権からオバマ政権に至る、一連の米国の戦略が重層的な要因を形成しているのであり、いずれか一方に全ての責任をおっかぶせる議論は、自らの責任転嫁を図る、国内政治の延長戦に過ぎないといえるでしょう。とはいえ、ISが急速に勢力を広げたことのより近接的な要因として、シリア内戦に関する米国の方針があったことは無視できません。チュニジアに端を発した民主化運動、「アラブの春」のうねりのなか、2011年からアサド政権と反体制派の間で衝突が相次ぎ、これが内戦に発展しました。もともとシリアを「テロ支援国家」に指定していた米国は、直接的な介入を避けながらも、アサド政権を批判し、「シリア国民連合」を中心とする反体制派との和平交渉を(アサド政権を支援するロシアとともに)仲介してきました。しかし、その一方で、やはりアサド政権と敵対してきたサウジアラビアやUAEなどスンニ派の湾岸諸国が、シリアで活動するスンニ派の反アサドのイスラーム武装勢力に資金、人員面で支援し続けることを事実上黙認してきました。それらの一部がISを含むアル・カイダ系組織に流れ、結果的にISの台頭を後押しすることとなったのです。
自らの敵と対立する現地勢力を支援する、いわば「敵の敵は味方」というアプローチは、帝国主義時代に英国が頻繁に用いた手法です。例えばインドでは、少数派のシーク教徒などと結び、多数派のヒンドゥー教徒を支配しました。また、第一次世界大戦中に、ドイツに与するオスマン・トルコを内部から揺さぶるために、当時トルコ人に支配されていたアラブ人に「独立」を約束して武装活動への協力を取り付けた英国の作戦は、映画「アラビアのロレンス」で描かれている通りです。この手法は、自らが前面に出ることの政治的コストとともに、多数の兵員を本国から派遣する経済的コストをも軽減するものだったといえます。二度の世界大戦を契機に英国が覇権国の座から滑り落ちた後、その後継者となった米国は、この手法を継承しました。有名な話では、1978年にソ連が侵攻したアフガニスタンで、それに抵抗して世界中から参集したムスリム義勇兵(ムジャヒディン)を支援したのは米国でした。しかし、この手法は短期的に自らのコストを軽減し、味方を増やすことができたとしても、それが長期的に自らのコストを増やし、敵を増やす結果になることも、珍しくありません。世界中からアフガニスタンに集まったムスリムが後に、アル・カイダをはじめとする国際テロネットワークの母体となったことは、その典型です。ISに話を戻せば、アサド政権という共通の敵に対応するため、スンニ派武装勢力を支援したのは主に米国とスンニ派湾岸諸国であり、それに対応するためのコスト負担にヨーロッパ諸国が消極的になったとしても、不思議ではありません。(つづく)
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