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2014-10-22 00:00
(連載1)国際二宮尊徳思想学会について
池尾 愛子
早稲田大学教授
国際二宮尊徳思想学会(International Ninomiya Sontoku Association, INSA)の設立は、北京大学 日本研究所教授の劉金才氏のひとかたならぬ熱意と努力の賜である。劉氏は小田原と掛川を訪れ、日中国交30周年を迎えた2002年6月に、北京大学で国際二宮尊徳思想学術検討会の開催にこぎつけた。当時の中華日本学会会長も参加して挨拶した。翌2003年4月に小田原でINSAが設立され、2004年に7月に東京で第2回学術大会が開催された。私は尊徳の教義と日本の近代経済学との親近性に気づいていたので、何か手掛かりが見つかるかもしれないと、この大会に出席した。そして、2006年の大連大会にも出席して、天野為之(1861-1938)に関するヒントを得た。天野は私が研究しようとしていたものの、利用可能な資料が極端に限定された経済学者でもあった。
日中国交回復40周年にあたる2012年10月、第6回学術大会の開催が北京の清華大学で予定されていた。しかし、反日デモの勢いで、開催延期となった(2012年9月21日付本掲示板参照)。 2014年10月18-19日、中国側と日本側の双方の熱意と努力により、第6回大会が2年前に予定した場所の清華大学において滞りなく開催された。参加者リストによれば日中合せて120名、韓国1名であるが、他の国からの参加者も見受けられた。中国人研究者との交流に慣れた人たちとともに中国での国際シンポジウムに参加すると、私も安心していられて心強くもある。
2011年に福住正兄筆記『二宮翁夜話』(1884―7)、2012年に富田高慶著『報徳記』(1883)の中国語訳が、大連民族学院教授の王秀文氏らにより出版されていた。「日本語が読めなくても、尊徳が(中国語で)読める」という尊徳研究にとって新しい段階に突入していた。中国文献と中文の尊徳文献が比較対照されるのであろうか、尊徳独自の「分度」までもが中国文献に引き寄せられて解釈される傾向が見て取れた。「分度」は荀子にもあるというが、倫理的観点のみに絞られるようだ。尊徳の名言「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である」は常に思い起こされるべきである。尊徳の「分度」は、「分を守って生きることである」とされる。が、尊徳には一方向に流れる時間の観念があり、飢饉対策や新田開発(経済成長)も視野に入っていて、尊徳と弟子たちは資金あるいは米の貸借を通時的に円滑に実践していたので、「時間を通じて、分を守って生きることである」ともいえるであろう。
今大会では、中国倫理学会元会長や孔子書院院長などの研究発表・講演があった。尊徳の教義と不二考(講)や 石門心学との関係に注目する報告や議論もあり、となれば、尊徳と陽明学の関係を問いたい人たちもいた。となれば、尊徳に加えて、中江藤樹も研究視野に入れたい人もいた。これらの点でも、尊徳研究は新たな段階に到達しているといえる。もっとも、 現代中国語と現代日本語でも簡単に通じ合うものではない。近世中国語と近世日本語はどうだったのだろうか。当時の中国語を知らずに、尊徳のように中国文献を漢文として日本語読みする人たちがいたのである。 もし陽明学が日本の近代化に影響を及ぼしたと主張するのならば、陽明学を生み出した中国で近代化・現代化が遅れた理由は何か。研究関心はさらに広がるかもしれない。(つづく)
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